☆亀山天皇皇子良助親王 冬野墓


大和国高市郡
奈良県高市郡明日香村大字冬野
(詳細住所不明、Googlemapに登録したので近いうちに表示されると思います)
(P無し、駐車は下部写真参照)



第90代亀山天皇 第4皇子(第8皇子説有り)、良助法親王(リョウスケホッシンノウ、1268~1318年)の治定陵墓。

明日香村側から「冬野」(通称「上畑」)へ車道を登った最奥地の、少しだけ手前に築かれています。標高は650mほどの高所。

談山神社(未参拝)の清浄院に住んでいたらしく、当地に葬られるのは親王の遺志であるとか。

談山神社から当地へは杣道が通じています。また当地から「稲渕」方面へ下る杣道がかつてあったのではないかと考えています。

そうすると談山神社のある「多武峰(とうのみね)」から「稲渕」まで一気に繋がることになり、頻繁に往来があったように思うのです。相当困難な山越えですが。

さらに南方へは大仁保神社が鎮座する標高450mほどの高所地を経て、葛上白石神社が鎮座する吉野の「千股」へ抜ける古代幹線道があります。こちらも険しい杣道のようですが。

また別に「稲渕」を経由せずにそのまま南下して吉野へ抜ける道もありました。こちらは本居宣長も通った「竜在峠」。

こちらは「多武峰」から吉野へ抜ける最短ルートであったものと思います。

そこまで繋がっていたと考えると、古代の人の往来の様子が手に取るように分かります。

北の方へは「下居(おりい)」「浅古(あさご)」を抜けて、等彌神社さらに山辺の道に通じていきます。