☆ 岩屋枡型


大和国添上郡
奈良県山辺郡山添村大字北野
(登拝・アクセス記事は→こちら)



「牛ヶ峰」山頂(標高400m余り)近くに座す大磐座群。

「大字北野」は山添村の北西端、三重県とは山頂尾根を境にします。そして西側すぐに布目ダム。

日本屈指の磐座の宝庫である山添村を代表する磐座群。
三大巨頭とでも言いましょうか。
(他は鍋倉溪長寿岩 ※個人的な認識です)


磐座群は総数30体ほどでしょうか。

「岩屋枡型」とは、「岩屋」と「枡型」の二体で構成されるもの。
自然摂理で割れて下に落ちたものを「岩屋」、残った方を「枡型」と称しているようです。

冒頭写真の「枡型」は高さ16m。下部掲載の「岩屋」は幅13m。

縄文創草期(7000~8000年以上前)に拵えたものと推定されます。

はて…

ホントに割れた?
敢えて割ったのでは?


「枡型」はキレイな平らな面が真西に向けられています。

割ったのか割れたのかはさておき、
夕陽を反射させたと考えるべきでしょうし、
またその方角に向くように動かし、立て起こしたのだろうと思います。


こんなドデカイ磐を動かした???
磐座を見慣れた人なら「よくあること!」…と。


残念ながら、空海とかいう暴徒により「岩屋」の方には大日如来?(詳しくは知らん!)が彫られてしまいました。

この史上最悪の兇賊は「枡型」の方にも、
彫ったノミなどを入れる「枡型」の穴を開けるという狼藉を。


この憐れな姿となってしまった神に、涙が出そうに…。
「大祓詞」を奏上し少しでも穢を祓いましたが、もう元には戻りません…。

そもそも「大祓詞」は、磐座信仰より相当後の時代のものですし…。


この写真以下5枚は「枡型」。




背後に回ることも可能。下の方に掲載した写真の大半は背後にあるものです。

この写真以降5枚は「岩屋」。

「つっかえとなる石の上に自然に落ちた」などと表記しているサイトもありますが、どっからどう見ても「つっかえ」の上に据えています。


「岩屋」を上から。

上から違う角度で。



この写真以降は周りの磐座群。主だったものをピックアップして掲載します。「磐座」好きさん!堪能して下さいませ。