桜木神社 (吉野町)


大和国吉野郡
奈良県吉野郡吉野町大字喜佐谷423
(P有)

■旧社格
村社

■祭神
大己貴命
少名彦命
天武天皇


「吉野川」を挟み「宮瀧遺跡」の対岸方向に流れる支流、「喜佐谷川(きさだにかわ)」沿いに鎮座する社。
◎「喜佐谷川」はかつて「象の小川(きさのおがわ)」として、万葉歌にも歌われた風光明媚な名所(後ほど万葉歌とともに別記事を上げます)。また上流から流れ留まった巨岩は、まさに磐座の如し、美しいだけではなく古代からの霊地と考えられていたようにも思えます。
◎「象の小川」は「象山(きさやま)」の中腹を通過しますが、「宮瀧遺跡」から見た山容はとても美しく、神奈備山であったのだろうと。「宮瀧遺跡」は縄文時代からの遺跡であり、この「象山」を聖なる山として考えていたように思います。
また後に斉明天皇や天武天皇から聖武天皇に至るまで、足しげく行幸した「吉野宮(離宮)」が、この遺跡の上に営まれました。もちろん「象山」がもっとも美しく望める地に。
持統天皇は吉野に31回もの行幸を重ねています。亡き夫の天武天皇を偲び、離宮や「象の小川」で思いを馳せたのではないかと。
◎創建時期については不明。大海人皇子(後の天武天皇)が吉野に身を潜めた際、大友皇子に攻め込まれ、桜の根元に隠れて難を逃れたとされます。創祀はこの時ではないでしょうか。天武天皇が我が身を救った桜の木を「桜木明神」と称して祀ったものと考えます。
◎天武天皇崩御後に創建されたと社伝ではしていますが、おそらく延喜年間以降かと。式内社に列記されていないため。
既に当時は天武天皇の桜の根元云々…が忘れられていた、もしくは別の目的で創建に至ったのではないかと考えます。「桜木明神」がご祭神に見えないため。社頭案内には初代紀伊藩主が病気平癒を木を祈願したとしていますが、これが創建目的であり、平安後期頃に創建されたように思います。
◎当社へと進むには「象の小川」に架かる、「こぬれ橋」を渡らねばなりません。かつてあった「うたた寝橋」を模して再現されたもの。
これは源義経が吉野山で静御前と別れ、命からがら当地まで逃げ落ちて来た際に、その美しさに見とれ、また安心してうたた寝をしたという伝承を伴う橋と言われます。
史実なのか後世の付会なのか判断しかねますが、史実とすればこの時既に創建されていたということになります。





山も川も社殿もすべてが美しい社。







上記、山部赤人の万葉歌碑。

「宮瀧遺跡」近くの十二社神社から望む「象山」。