■表記
紀 … 磐之媛
記 … 石之日売


■概要
第16代仁徳天皇皇后。嫉妬深い女性として記紀には記されます。葛城襲津彦の娘であり、つまり武内宿禰の孫であり、皇室と葛城氏との繋がりがポイントとなります。また皇族以外から初めて皇后になった女性として知られます。
◎紀には仁徳天皇即位二十二年に、「(天皇は)八田皇女を妃として迎え入れたい」と磐之媛命に告げます。ところが磐之媛が拒み断念。
即位三十年には、磐之媛が熊野へ出かけた隙を狙い八田皇女を宮中に招き入れます。磐之媛はこれに嫉妬し山城国筒木宮に籠ります。天皇がなだめに向かうも、顔を見せようとすらせず。
記も概ね同様の記述。結局、磐之媛の薨去後に八田皇女は仁徳天皇皇后となります。
◎一方の仁徳天皇は恋多き天皇として描かれています。他にも吉備の海部直の娘である黒比売を宮中に招き入れたりも。
◎これらについては二つの留意点があるかと考えます。まず天皇が発したことを皇后が拒むことができるのかということ。天皇の発する言葉は「勅」であり、有無を述べる余地すらも無いはず。したがって磐之媛が拒んだり嫉妬したりなどというのは、神話にほかならないのではとも。
◎次に皇位継承時の皇族の動揺。大鷦鷯命(仁徳天皇)は応神天皇長子であり、皇位継承の際に末弟の菟道稚郎子(ウヂノワキイラツコ)と譲り合い、3年も皇位空白の状態が続きます。紀には大鷦鷯命に皇位を譲るために自殺、記には「天妖」と記されます。また第三子である大山守命は皇太子にすらなれず、挙兵するも大鷦鷯命に発覚され殺されます。
八田皇女が皇后となるのは菟道稚郎子の遺言であると記されます。八田皇女は菟道稚郎子の同母妹。
◎この2点から朝廷を中心として各氏族間での駆け引きがあったのではないかという説も。磐之媛は葛城氏、菟道稚郎子と八田皇女の母は和珥氏、さらに黒比売は海部直の娘。なお大山守命の母は皇族の仲姫命。各氏族の勢力争いが関わっているのではないかとされ、それが記紀神話に示唆されているように考えています。


■系譜
上述のように父は葛城襲津彦であり、つまり祖父は武内宿禰。母は記紀その他にも記載無し。
仁徳天皇との間に第17代履中天皇、住吉仲皇子、第18代反正天皇、第19代允泰天皇が生まれています。


■陵墓

(ならのさかのえのみささぎ、通称ヒシゲ古墳)
小奈邊古墳(陵墓参考地)