☆ 火振山古墳(新庄神塚古墳)
(ひふりやまこふん/しんじょうこうづかこふん)


大和国葛下郡
奈良県葛城市南藤井(詳細住所不明)
(山麓線「葛城山麓公園入口」交差点を西に100mほど、道路の南側)


■形状
前方後円墳
■全長
95m(周濠有り)
■築造時期
450~500年頃(古墳時代中期後半)
■埋葬施設
(不明)
■出土品
円筒埴輪
■周辺の状況
葛城山の東麓
北500mほどに屋敷山古墳がある
■被葬者
葛城氏の首長とされる


葛城市第三位の規模を誇る前方後円墳と謳うのは葛城市。第一位は135mの屋敷山古墳として、第二位は90mの飯豊天皇 埴口丘陵ということでしょうか。手持ち資料では当古墳は95mですが。

資料が非常に乏しく、埋葬施設や出土品も不明。規模も怪しいもので、かなり昔に調査されたきりとなっているのではないかと。

規模から考えて葛城氏の首長クラス、つまり著名人のものであろうと思われます。貴重な日本国の歴史遺産であり、一刻も早く国史指定を行い綿密な調査を行って頂きたいと切に願います。

「火振山」はその名の通り「火を振る山」。時代は下り飛鳥時代に、敵の進軍を知らせる「のろし台」が設置されたのであろうと考えられています。

なお正式名称は「火振山古墳」。一度「新庄神塚古墳」とされたものの、元の名に戻されたようです。

このフェンス沿いに進むと進入口へ。

西方より。