☆ 飯豊天皇 埴口丘陵



大和国葛下郡
奈良県葛城市北花内
(陵前に駐車可)



飯豊青皇女の治定墓。名称は「飯豊天皇埴口丘陵」。

注目すべきは、宮内庁からは「飯豊天皇」されていること、また紀においても「埴口丘陵」というように「陵」とされていることなどから、執政を行ったとする説が有力。

第23代 顕宗天皇(弘計王)の前に執政していたとされ、その天皇が即位するまでの暫定的な天皇だったのかもしれません。

雄略天皇の暴君により、有力な皇位継承者等が次々と粛清。父を葬られた弘計王・億計王兄弟は丹後や播磨で隠棲生活を行いました。


播磨で発見され大和へと戻り第23代顕宗天皇、第24代仁賢天皇と相次いで即位。第22代清寧天皇の後から発見までの空白、この時に即位していたのではないかと考えられています。

執政期間はわずかに10ヶ月未満でした。

墳墓は全長90mの前方後円墳。
葛下郡にありますが、宮跡やゆかりの地とされるのは忍海郡。

忍海郡は渡来系技術集団が居住した地。
飯豊青皇女とも称され、「青」は製鉄鍛治に関係があるとするのは谷川健一氏。

若狭国の青海神社には禊をしたという「鏡池」があり、ゆかりの地となっています。
アメノヒボコ神と同様に渡来系氏族で、若狭から上陸してきたのでしょうか。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。









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