揖夜神社
(いやじんじゃ・いふやじんじゃ)


出雲国意宇郡
島根県松江市東出雲町揖屋2229
(P有)

■延喜式神名帳
揖夜神社の比定社
[境内社 韓國伊太氐神社] 同社坐韓國伊太氐神社の比定社

■旧社格
県社

■祭神
伊弉冉命
[配祀] 大己貴命 少彦名命 事代主命 武御名方命 経津主命
[境内社 韓國伊太氐神社] 素盞嗚命 五十猛命


意宇六社の一。すぐ隣に「黄泉比良坂」(よもつひらさか)の比定地。紀には「言夜社」、「出雲国風土記」には「伊布夜社」、神名帳には「揖夜神社」と記される社。また記には「伊賦夜坂」(=黄泉比良坂)という記述も。
◎当社に関して非常に興味深い記述が紀にみえます。斉明天皇五年「出雲国造に命じ神の宮を修造した その時に狐が意宇郡役夫の採ってきた葛を噛みきり逃げ 犬が噛みきった死者の腕が言う屋社に置かれていた 天子崩御の前兆である」と。「神の宮」とは熊野大社とのこと。この事件と隣の「伊賦夜坂(黄泉比良坂)」を合わせて考えると、この地には「死者」の意味合いがあるのではないかと。「式内調査報告」は他の地域にいくつか見られる「ユヤ」も、当地の「イフヤ(イヤ)」と関連して「死者の霊の行き着く所」ではないかとしています。
◎ご祭神については、「黄泉比良坂」の伝承から宛てられた伊弉冉尊であろうとされ、当社に関して研究した書では意見もバラバラ。大己貴命や少彦名命ではないかとしているものが多いようですが。正史等には神名が見えず、「黄泉戸大神」や「道返大神(チカエシノオオカミ)」などとしているのが妥当なところかもしれません。
◎境内社の韓國伊太氐神社(からくにいだてじんじゃ)が「式内社 同社坐韓國伊太氐神社」とされています。同名社が神名帳の出雲国に6社あり、出雲国特有のもの。この時代(927年)にすでに合祀されていたことが分かります。ご本殿が座す横(瑞垣外)の右殿(向かって左側)に鎮座します。もちろんご祭神は五十猛命。神名帳では一座であり、父神の素盞嗚命は後に合祀されたものと思います。
また左殿には三穂津姫神社が鎮座し、扁額には「風土記社」と記されています。三穂津姫は出雲の神ではなく大和の神であり、記紀神話の影響を受けて編纂された風土記にちなむご祭神を祀った社と言えるかと思います。

※写真は2016年11月撮影のものと2010年頃撮影のものとがあります。




ご本殿を斜め背後から。手前に鎮座する小祠が境内社 韓國伊太氐神社。


三穂津姫神社