現人神社
(あらひとじんじゃ)


筑前国那珂郡
福岡県筑紫郡那珂川町仲3-6-20
(駐車場は覚えていませんが困らなかったと思います)

■延喜式神名帳
住吉神社三座 並 名神大 の論社

■祭神
表筒男神
中筒男神
底筒男神
神功皇后
安徳天皇


全国住吉社の「本津宮」とされる社。「那珂川」流域沿い、平坦な住宅地内に鎮座しています。ここから南方は丘陵地帯へと向かいます。
◎創建由緒については社頭案内によると、「神功皇后三韓征伐の際、軍船の舳先に御形を現し、玉体を護り進路を導き無事凱旋せしめた御神として皇后いたく畏み奉りて、この住吉の神の鎮まり座す現人宮を訪れ…」とあり、この時点ですでに鎮座している旨の表現になっています。そして「軍船の舳先に御形を現し」が「現人(あらひと)」の社名になったものとしています。ところが現れたのは「人」ではなく「神」であり、かなり無理のある解釈と言えるでしょうか。
続けて「神田に水を引かむと、山田の一の井堰を築き裂田の溝を通湍して五穀豊穣の誠を捧げられ、現人大明神の尊号を授けられ…」とあります。この「裂田の溝」を通すに当たりお大岩が邪魔をしていた、武内宿禰が祈ると天から雷が落ち岩を砕いたと、裂田神社(未参拝)の由緒にはあります。
さらに続けて「(中略)摂津の住吉大社は現人大明神の和魂を祀り、福岡(筑紫)の住吉神社は分霊せらる」と。このことが日本でもっとも古く住吉神を祀った社であり、住吉神社の「本津宮」であると主張する所以になっています。当社から筑紫の住吉神社・へ分霊されたのは、海岸線が変化したということなのでしょうか。
◎以上のように創建については示されてはいるものの、創祀については何ら示されていません。また「現人」という社名由来についても、後世のこじつけとしか捉えられないような内容しか示されていません。
◎社名由来を考えることが、当社原始の様子を探る手掛かりになるのかもしれません。その上で否が応にも想起されるのは、「都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)」と「安羅(あら)」。都怒我阿羅斯等は、元新羅王子であったアメノヒボコ神と同神とする説が有力。また神功皇后がその血を引いているとする説が有力。三韓征伐の主目的は新羅征討であったかと思われ、十分に関連が考えられる内容。一方「安羅」については、朝鮮半島にあった倭の支配国「加羅(加耶)」(小国家連合国)の一国。紀には神功皇后四十九年に「安羅」を含む諸国を平定したとの記述があります。こちらも関連が考えられる内容かと思います。このどちらかが原始に関わる手掛かりかと考えています。

住吉大社 


*写真は2016年1月撮影のものです。