知立神社
(ちりゅうじんじゃ)


参河国碧海郡
愛知県知立市西町神田12
(境内に駐車可)

■延喜式神名帳
知立神社の比定社

■旧社格
県社

■祭神
鸕鶿草葺不合尊
彦火火出見尊
玉依比売命
神日本磐余彦尊
[相殿] 青海首命 聖徳太子


名古屋市の郊外、知立市(ちりゅうし)に鎮座する社。当社の門前町として古くから発展しています。
◎古来より当社について多くの議論が展開されているものの、不明な点が多く定説には至っていません。創建については社伝によると、日本武尊が東国平定に向かう際に当地にて建国祖神に戦勝祈願、平定後に創建に至ったとされています。ご祭神は鸕鶿草葺不合尊、彦火火出見尊、神日本磐余彦尊と子父孫神の三代と、鸕鶿草葺不合尊の妻神である玉依比売命。
別説として日本武尊従者の大伴武日や吉備武彦も。さらに語呂合わせからか木花知流比売といったものまで。
◎相殿神にみえる青海首命が鍵を握っているように思います。当社は池鮒鯉大明神(ちりゅうだいみょうじん)とも称されます。そして越前国足羽郡(現在の福井市)にも池鮒鯉神社が鎮座します(未参拝)。越後国頸城郡(現在の糸魚川市)に青海神社が鎮座(未参拝)、若狭国大飯郡にも青海神社が鎮座。奉斎氏族については諸説あるものの、いずれも青海首が奉斎していた可能性があります。
◎また当地の碧海郡も、この青海首が開拓したとされます。青海首は椎根津彦神を祖とする氏族。椎根津彦神は神武東征の途上に出会った神ですが、別名 珍彦(宇豆毘古、ウズヒコ)とも。また丹後国の籠神社では天火明命四世孫としており、神武東征後に神武天皇より「倭宿禰」の称号を賜ったとされます。いずれにしても海人族であろうと考えられます。
◎さらに当社を創建した伊知理生命(イチリウノミコト)が社名由緒になっているという説も。土着神のようにも思われますが、文献には一切登場せず根拠等不明。ネット等では散見されますが出自や事績等一切が不明であり、どこに端を発するものでしょうか。
◎境内西方は「知立公園」として整備されており、花しょうぶ園も。その奥に前述の吉備武彦を祀る、土御前社が鎮座します。また境内には神仏混淆の名残である多宝塔などという仏教施設が、残念ながら残ってしまっています。

*写真は2017年9月撮影のものです。



鮒や鯉が生息する池が設けられています。




花しょうぶ園

土御前社

明治建築の「養正館」、校舎として使われていたとか。