伊良湖神社
(いらごじんじゃ)


参河国渥美郡
愛知県田原市日出町骨山1707
(一の鳥居近辺に広い空きスペース有)

■祭神


「渥美半島」の先端、「伊良湖岬」に近い風光明媚な地に鎮座する社。
◎当地は伊勢神宮領「伊良湖御厨」であり、神宮への「神御衣(かむみそ)調進地」。それ故「おんぞまつり(御衣祭)」が行われる社でもありました。
◎創建時期は貞観十七年(875年)とされますが、或いは嘉祥元年(848年)とも。
原初は「骨山(宮山とも)」の高台に鎮座していたらしく(「伊良湖ビューホテル」の辺りらしい)、360度のパノラマとなっているもよう。現在も往時の参道と旧社地跡が残されているようです(現地未確認)。すぐ南の海岸には「日出の石門」もあり、祭祀を行うには格好の場所であったかと思われわます。
かつては「伊良久大明神」と称され、遷座は明治時代の軍用地拡張のためであったとのこと。
◎当地は「中央構造線上」にあり、瀧原宮━━伊勢の神宮━━当社━━富士山と結ばれるレイライン上にも。創建時より遥か上古からの霊地であったように思います。
◎「神御衣(かむみそ)」とは、伊勢の神宮に於いて天照大御神が身に着ける衣のこと。実際には神前に奉納される絹織物を指します。神宮では二十年に一度の「遷宮祭」と、毎年衣替えの時期に絹と麻の反物を奉納する「神衣祭」があり、現在も続けられています。
◎参河国に於いては桓武天皇の御代(781~806年)、「参河大野」で作られた絹糸を「渥美神戸」として神宮に奉納したのが始まり。後に清和天皇の御代(858~876年)、絹糸が「伊良湖」へ運ばれ機織りされてから神宮へ奉納されることになります。「(その運び込まれた)絹糸を供え、機織殿を潔斎し、機織りされた御衣(おんぞ)を供え神事を行う」ための社として当社が創建されたと伝わっています。
◎当地を経由した理由については、「神御衣」という大切なものを安全確実に神宮へ納めるには、海賊等からの難を避けるためであったと考えられています。潮流が速く、海路が狭く、浅瀬も多いため「日本三大潮流」とも称されるのが「伊良湖水道」。海賊等の少ない敢えてこちらを通ったのではないかと。
◎時代は下り、久寿二年(1155年)には「遠州三ヶ日」の初生衣神社(うぶきぬじんじゃ)にて機織りがなされるようになり、当社は途中の安置と道中の安全を祈祷する社へと変化します。さらに明和元年(1764年)には、「豊川」下流の「吉田湊」から直接神宮へ奉納されたようです。
既に原初の意義を失ってはいますが、現在も毎年四月第三日曜に「おんぞまつり」が続けられています。

*写真は2017年9月撮影のものです。


一の鳥居。広い駐車スペース有り。




おそらく右手が「日出の石門」。