科長神社
(しながじんじゃ)


河内国石川郡
大阪府南河内郡太子町山田3778
(麓にも境内にも駐車可)

■延喜式神名帳
科長神社の比定社

■旧社格
郷社

■祭神
[配祀] 素盞嗚命 品陀別命 建御名方命 武甕槌命 経津主命 天児屋根命 天照大神
[合祀] 天御柱國御柱大神 天児屋根命 品陀別命 八坂大神 道祖大神 保食神 菅原道真 市杵島姫命 天照大神


「飛鳥川」沿いに形成される「磯長谷(しながだに)」に鎮座する社。
◎「飛鳥川」は「二上山」の「磯長谷」を挟んだ南側、「神山」を水源とする川。一帯は「王陵の谷」とも称され、敏達・用明・推古・孝徳の各天皇陵と聖徳太子の御廟がひしめいています。

◎当社は元々は「二上山」上に鎮座し「二上権現」と称されていたものの、暦仁元年(1238年)に現社地に遷座されたと伝わります。つまりその旧社地において式内社であったということに。
遷座させたのは藤原頼孝。祖神等を勧請合祀し「八社大明神」と社名を変えたため、それが江戸時代まで続いていたらしく、灯籠や扁額にもその社名が残っています。境内社として二上神社が鎮座しています。
◎遷座前の情報は少ないものの、元より風神を祀る社であったかと考えています。「二上山」の南側から西側にかけて3体の銅鐸が出土。風を必要とするのは製鉄従事者ですが、銅鐸の鋳造に携わっていた人々がその技術を継承しながら製鉄へと職業を変えていったとするのは、谷川健一氏らが指摘しているところ。
◎当地には恵比須神社が鎮座していたと伝わります。現在は末社として拝殿と向かい合わせるように鎮座しています。
◎その元々鎮座していたという恵比須神社ですが、「土祖神社」であったとする資料も。そして祭神は息長宿禰と葛城高額姫命(カズラキノタカヌカヒメノミコト)であると。神功皇后の父母神。そして当地には神功皇后の出生地であるという伝承があるようです。
◎「式内調査報告」は「科長→磯長(しなが)→息長(おきなが)」と転じたものと切って捨てています。ところが当社社宝に神功皇后の雛形兜があるらしく、また葛城高額姫命を葛城出身と考えるなら、十分にあり得ることかと。葛城地方は「神山」の反対側(大和側)すぐ。
◎息長氏は製鉄鍛冶神である天日槍神を祖とする氏族。この地で銅を産出し銅鐸を鋳造していたものの、後に製鉄鍛冶に携わるようになったと推定できます。その時に風神を祀るようになったのではないかと。神名帳においては一座。級長津彦命を祀っていたのでしょうか。

◎なお当社より北西1.5kmほどに聖徳太子の御廟がある叡福寺がありますが、その境内に科長岡神社が鎮座。当社のご祭神との相似も多く、何らかの関係がありそうです。宮司に伺うと、「関係ない」と少々怒り気味に突き返されましたが。過去にもめ事でもあったのでしょうか。明治に当社に合祀後、復社したという資料もありますが。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。


麓の駐車スペース、50m足らず登れば境内へ。


一の鳥居前の小祠。祓戸社でしょうか。


石灯籠には「八社宮」と刻まれます。



提灯には「八社大明神」と記されます。

裏側に回りご本殿へ。




鳥居前から小野妹子墓に登る石段。