大坂山口神社 (穴虫)


大和国葛下郡
奈良県香芝市穴虫3140
(P無し、近隣留め置き不可)
(近鉄「二上駅」前コインPを利用して歩くのがおすすめ、アクセス道は非常に狭く普通車はよほど運転上手でない限り困難)

■延喜式神名帳
大坂山口神社 大 月次新嘗 の論社

■旧社格
村社

■祭神
須佐之男命
天児屋根命


大和国十四所山口社の一、香芝市「逢坂」に鎮座する同名社(記事改定中、後ほどUP予定)とともに式内論社とされています。
◎当地は「穴虫街道」(現在の穴虫峠)近く、大和国を抜けて河内国へ入る要衝の一つ。山口社はすべて、このような要衝に鎮座しているのは偶然ではないと思います。もちろん伐り出した用材を運搬するには、交通の要衝であるべきかとも思いますが。これはわずか500m足らずほどしか離れていない同名社にも当てはまります。
◎用材を伐り出す山口社としては少々貧弱。周辺は開発が進み往古の原形を留めていないものの、最高峰である「屯鶴峯(どんづるぼう)」ですら標高150m。大和を守るために、要衝に塞の神といった役割を兼ねて配したのでしょうか。
◎記紀には当社に関してと思われる興味深い記述があります。紀の崇神天皇九年「(天皇の夢に神人が現れお告げがあり) 以赤盾八枚・赤矛八竿 祠墨坂神 亦以黒盾八枚・黒矛八竿 祠大坂神」と。ここに著される「墨坂神」とは宇陀郡の墨坂神社のこと。「大坂神」は大坂山口神社(当社もしくは、もう一つ同名社)これは崇神天皇の時代に大物主神の祟りであったのか、疫病の流行や大凶作などで未曾有の危機が訪れます。帝はあの手この手で対策を施しますが、これもその一つ。大和盆地の東西要衝に結界を張ったと考えられます。
◎ご祭神は当社を山口社とするなら大山祇命。江戸時代には牛頭天王社と称されていたらしく、その流れで須佐之男命が祀られています。
ご本殿背後は露出岩盤のように見受けられます。御神体なのでしょうか。

※写真は2017年11月と2021年1月参拝ののものが混在しています。











写真では分かりにくいものの、ご本殿背後は露出岩盤。