☆ 蜘蛛窟 (高天彦神社)



大和国葛上郡
奈良県御所市高天176
(高天彦神社参道内)(高天彦神社P利用)



高天彦神社の駐車場から東方、ご本殿とは反対側の樹叢内にそれはあります。

最古級の古社であるため、どこからどこまでを参道と解するのかは困難かと思いますが、始まりは麓の古式鳥居のような進入口から樹叢が500mほど続くところから。

やがて田の畔(あぜ)となり、そして有名な左右に数十本の高木が屹立する道で終わりとなります。

その中の田の畔(あぜ)の畔(ほとり)、鬱蒼とした樹叢の中に隠れるようにひっそりと。


「土蜘蛛」は文献により様々に記されますが、

手足が長く身丈は低いだの…
野蛮で力強いだの…
イメージ的には比較的共通性のあるもの。

朝廷にまつろわぬ賊(賊の首長)であると。


そしてこの「蜘蛛窟」はその名の通り「窟」。

「土蜘蛛」たちは「窟」の中に住んでいたとされます。


つまりここは「土蜘蛛」たちの居住地であったとされます。

その「土蜘蛛」たちが葬られたとされるのは、高天彦神社のご本殿の右(向かって左)にある磐座。


(蜘蛛塚)



あるいは別に葛城一言主神社の鳥居をくぐったすぐの磐座と拝殿横の磐座が、
「蜘蛛塚」であるとも考えられています。



葛城一言主神社(上 : 鳥居すぐの磐座、下 : 拝殿横の磐座)




神武紀には
「波哆丘岬の新城戸畔(ニイキトベ)
「和珥坂下の居勢祝(コセノハフリ)
「臍見長柄丘岬の猪祝(ヰハフリ)
以上の三ヶ所の「土蜘蛛」を誅したとあります。

御所市説、天理市説と意見が分かれていますが
いずれも高天彦神社「土蜘蛛」ではなさそう。

また「土蜘蛛」自体を、鴨氏のことであると捉える考え方などもあります。

鴨氏のルーツに関わることであり、到底この記事内に収められる程度のものではありませんが。


右斜め後ろ→ご本殿へ、左斜め前→参道、右斜め前→伏見八幡神社

畦道から北の方に目をやると、こういう小さな看板が見えます。このトタンの裏側を進みます。

わずか50cm足らずの道を進みます。右奥に見えるのが参道(田の畔道)

ぬかるんでいる日は特に足元に注意。


「窟」ではあるものの、「塚」の可能性も。