狭山神社


河内国丹比郡
大阪府大阪狭山市半田1-223
(P有)

■延喜式神名帳
狭山神社 大 月次新嘗 の比定社
[境内社 狭山堤神社] 狭山堤神社 大 月次新嘗 の比定社

■旧社格
郷社

■祭神
天照皇大神
素盞嗚命
[配祀] 臣狭山連 天児屋根命
[合祀] 大山祇神 稲田姫命
[境内社 狭山堤神社] 五十色入彦尊



式内大社 狭山神社と、明治に合祀された式内社 狭山堤神社とが並ぶ稀有な社。 大阪狭山市といえば人工ため池「狭山池」がシンボルですが、その「狭山池」に関わる神社であろうとされます。
◎「狭山池」造成を勅命したのは崇神天皇であると、紀には記されています。一方、記では垂仁天皇の条に御子の五十色入彦尊(イニシキイリヒコノミコト)に命じて造らせたとあります。なお「狭山池」は日本最古の人工溜池。
◎創建に関わるのは狭山連でしょうか。中臣氏系であり、本来のご祭神は祖神の天児屋根命一座であったと考えています。「新撰姓氏録」には「大中臣朝臣同祖 天兒屋根命之後也」と見えます。式内大社に成り得たのは中臣氏系であったからではないかと。6世紀頃には和泉国陶邑(邑東端で当社より車で5分ほどから)に移住したものと考えられており、それまでに創建されたとみて問題無いかと思います。
◎狭山堤神社が狭山神社境内に遷座されたのは明治の合祀令によるもの。それまでは狭山池の堤付近を何度か遷座を繰り返したようです。
◎「狭山池」の鎮守の神として祀られたのが「狭山堤神社」。「狭山神社」は池が造成される前から鎮座していたものと考えられています。
明治七年の「神社取調書上帳」という書には、「臣狭山命 神躰石」とあるようです。

*写真は2018年8月と2021年12月のものが混在しています。




写真中央が狭山堤神社。