花窟神社
(はなのいわやじんじゃ)


紀伊国牟婁郡
三重県熊野市有馬町上地130
(隣が道の駅が併設されて駐車場にもなっている)

■祭神
伊弉冉尊


熊野灘に面した高さ45mほどの巨岩をご神体とする社。社殿は無く、拝所として白石を敷き詰めた玉垣で囲まれています。その向かい側に高さ2~3mの軻遇突智尊を祀る巨石が座しています。
◎そもそもは神社ではなく墓所とされていたようです。紀の第五段 一書 第五の記述にみえる「イザナミ神が火の神(カグツチ神)を生んだとき陰部を焼かれて亡くなった。紀伊国の熊野の有馬村に葬った(大意)」、これが当社のことではないかと。続けて「花の時期には花を供えて祭る」とあり、これが社名に繋がっているようです。
◎有馬村には別の候補社 産田神社があり、意見が別れています。個人的には当社が墓所で、祭祀場が産田神社であったと考えています。つまり関連社であり、往古は当社を含めて産田神社の社地であったのではと。あるいは産田神社がイザナミ神の墓所で、当社はカグツチ神の墓所であった可能性もあると考えています。
◎また別の言い伝えとして、さらに遥か奥地に鎮座する大馬神社の結界、つまり鳥居的なものであったというものも。壮大なスケールではあるものの、熊野全体を神が宿る神域とするなら理解できなくもないことかと。ただし後世の附会のように思いますが。
◎年二回の大祭では7本の藁縄を束ねた、170mもの大綱が磐座の頂点から海岸へ渡されます。そこには3つの縄幡が吊るされます。
7本は科長戸辺命・少童命(ワダツミノミコト)・句句廼馳命(ククノチノミコト)・草野姫(カヤノヒメ)・ 軻遇突智尊・埴安神・罔象女神(ミヅハノメノカミ)。いずれもイザナミ神の御子神。すべて自然神の七柱。
3つの縄幡は天照大神、月読尊、素戔嗚尊。こちらは黄泉国から帰還したイザナギ神が、禊を行い穢を払った際に生まれた三柱。

※写真は過去数回に渡る参拝時のものが混在しています。


隣が道の駅として整備されました。昔は参拝者もまばらで、この裏側の道路に路駐していたものです。

窪みに対して祭祀が行われています。


こちらは軻遇突智尊。


熊野でよく見られる丸石への信仰。当社のものが一番大きく、一番キレイな丸型。

境内社 稲荷社背後の巨大岩盤。

離れたところから傍観すると、さらに上部にも露出岩盤が見られます。