生根神社 (奥の天神)


摂津国住吉郡
大阪府住吉区住吉2-3-15
(境内に駐車可、住吉大社から北へ100m)

■延喜式神名帳
生根神社 大 月次新嘗 の比定社

■旧社格
郷社

■祭神
少彦名命
菅原道真公


住吉大社の北すぐに鎮座する社。さらに北500mほどにも同名の生根神社が鎮座、当社は「奥の天神」、もう一社は「上の天神」とも称されています。
◎創建年代は不詳。「式内大社 生根神社」の比定社。大同元年(806年)に生根神に神戸が一戸与えられたという記述があるため、それ以前の創建となります。
◎江戸時代には住吉大社の摂社となっていた時期もあり、明治に独立しています。ご祭神の少彦名命は酒の神でもあり、住吉神に献上していたという伝承もあるようです。
◎社伝には住吉大社より先に鎮座していたとも。ところが「住吉大社神代記」には当社のことが記されていません。このことから上記伝承とは異なり、住吉大社とは関連のない社と言えそうです。だからすぐ近くに鎮座しながらも、式内大社でありえたのではないでしょうか。
◎ご祭神については少彦名命が上げられていますが、「生根神」とするべきでしょうか。少なくとも神名帳が編まれた10世紀初頭までは。
「生根」と冠される神社は当社を含めて3社。西成区の生根神社(上の天神)は当社からの分祀とされ、あともう1社は大和国城上郡の忍坂坐生根神社。こちらも式内大社の比定社。3社とも少彦名命をご祭神としています。
◎「生根神」=少彦名神とする説以外に、活津彦根神とする説があり、こちらの方がしっくりときます。額田部氏の祖神として、忍坂坐生根神社の方では祀られていると考えられます。当社に関しては今のところ額田部氏に関する痕跡は見出だせず不明。ただし「忍坂坐…」とされていることから、当社とご祭神は共通であるとするのが自然でしょうか。
住吉大社より先に鎮座していたというのは、あくまでも「神社」という形の整った時よりも先という意味合いで、おそらく弥生時代から行っていたと思われる磐境などを設けての神祀りの頃ではないと思います。
◎当社は「奥天神」とも称され、これは住吉大社の奥にあるとして、道真公が前面に出ていた時代もあったことによるもの。文明十四年(1482年)に勧請されたとのこと。
別説として少彦名命を天神とみての「奥天神」とも言われます。
◎境内には種貸神社が鎮座。創建由緒は不明ですが、多米社が焼失した後の遷座先の候補地の一つかと思います。住吉大社 境内社の種貸社が有名ですが、多米社旧社地(→ 多米神社の記事にて)の近くに鎮座する神須牟地神社に遷されたと考えています。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。




参拝時にはいつも拝殿の拭き掃除をなされています。たまたまなのか、いつもなのか。とにかく美しいです。




ご本殿の背後。


境内社 天満宮

境内社群

龍王社

種貸神社

塞神社


*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。