幸神社 (度会郡玉城町)
(こうじんじゃ・さいのかみ) 


伊勢国度会郡
三重県度会郡玉城町積良162
(P有)

■延喜式神名帳
相鹿木大御神社の論社

■祭神
猿田彦大神
天忍穂耳命 活津彦根命 天津彦根命 天穂日命 熊野櫲樟日命 湍津姫命 田心姫命 市杵島姫命 加具土神 焼速男神 須佐男命


伊勢市に隣接する玉城町の「積良(つむろ)」に鎮座する社。かつては神宮への参拝者が集まる宿場町として大いに賑った地。
◎玉城町は内宮禰宜を世襲した荒木田氏が、原野を開拓した地とされます。町内には「神宮125社」のうち内宮摂社が10社、内宮末社が3社鎮座。また「積良」は墳墓の意とされ、荒木田氏の墳墓が山麓にあるとのこと。
町内には内宮末社の一社、津布良神社が鎮座(未参拝)します。「積良」は「津布良」からの転訛とみるべきでしょうか。そちらのご祭神は津布良彦神。内宮の原始に関わると考えている大水上命の多くの子神の一。また倭姫命の巡幸地でもあったとされます。
◎当社に関する資料は乏しく創建由緒等は明らかにされていません。創建は300年前ほどとする「玉城町街作り観光協会」に対し、往古から鎮座するとしている「三重県神社庁」。式内社の論社でもあり300年ほどの新しい神社ではなく、相当な古社であるかと考えます。
また前者は「さいのかみ」とし、後者は「こうじんじゃ」としています。社頭案内も「さいのかみ」に。こちらも「こうじんじゃ」が正式社名であり、「さいのかみ」が通称かと。
◎創建由緒に関しては概ね一致。熊野古道上であり、中央構造線上に鎮座。つまり「塞神(さいのかみ)」であり、もちろんご祭神は猿田彦大神。「幸」は好字を宛てたものでしょうか。
◎境内には「瘧神(おこりがみ)」と「目神(めがみ)」の2箇所の磐座(あるいは磐境か)が座しています。祓所もご神体は岩ですが。「瘧神」は子供の癇癪(かんしゃく)などに効験があるなどという勝手な風説があるらしく、「目神」は特に案内等は無いものの目の病等にといった風説でもありそうです。
これはおそらく「男神」と「女神」からの転訛かと思われ、猿田彦大神と天鈿女神のことであろうと思います。猿田彦大神は境内の奥まった段上に鎮まり、天鈿女神は一番手前の段下に鎮まっています。祀られる側と祀る側を表しているようです。原初の姿はこの磐座(磐境)であったのかもしれません。





ご本殿や瘧神は石段を登った上にあります。


この奥に瘧神が鎮まっています。