鉛錬比古神社
(えれひこじんじゃ)


近江国伊香郡
滋賀県長浜市余呉町中之郷108
(境内に駐車可、進入は南側から)

■延喜式神名帳
鈆錬日子神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神



天日鉾命の後裔が祖神を祀ったとされる神社。大山咋大神は、比叡山延暦寺が後の時代に当社を支配してしまい、日吉大社(記事未作成)から勧請させたようです。
◎古来、伊香郡は一大製鉄地帯であり、その鉄を求めて日鉾神の後裔が入植してきたと考えられています。白木明神と称されていた時代もあったようです。また「エレヒコ」は新羅の官職名であったとか(滋賀県神社庁は「江が連なりし…」としています)。さらに「余呉湖」の西畔には新羅崎神社跡(白木神社跡)があり、一族は「余呉湖」周辺を拠点としたようです。
◎当社周辺には「鉛錬古墳」「日槍塚」があり、創祀は古墳祭祀であったのかもしれません。社伝では創祀時期は崇神天皇の御代としていますが、十分にあり得るかと思います。
◎当社の奥宮(本宮)ではないかと考えられているところが、北東400mほどの山中にあるようです。「式内社 大水別神社」の論社(他に論社が2社有り)で、「大水ヶ谷石窟」と称される石窟があります。雨乞いの聖地で「池ヶ谷竜神」とも。また社名通りに大和の水分社(みくまりのやしろ)のように、用水の分配所でもあったとか。






「本地佛…」などと書かれ、延暦寺に支配された悲しい歴史の名残が。



磐座らしきものが境内にいくつかあります。