☆孝昭天皇 掖上博多山上陵
(わきのかみのはかたのやまのえのみささぎ)



大和国葛上郡
奈良県御所市三室博多山
(P有るものの閉じているため駐車不可)
(「ファミリーマート青翔高校前店」より南へ徒歩5分ほど)



第5代孝昭天皇の治定陵墓。
「葛城川」西岸に位置します。すぐ近くには鴨都波神社が鎮座。

欠史八代とも言われ実在を否定する見方もある天皇。記紀には系譜が記されるのみ、事蹟の記述は無し。

治定陵墓であるため宮内庁の管轄。
ほとんど調査がなされておらず全容は不明。自然にある山の尾根を利用しているとされ、「山形」と公表されているのみ。

ただの自然山であるのか、古墳であるのかすら判然としません。

大正十年に埴輪片が宮内庁職員により偶然に発見されているとのこと。長らく所蔵されたまま未公開になっていたらしく、かなりの年数が経っていることからこれをもって古墳である判定、築造年代特定は難ありかと。

治定に至ったのは「掖上池心宮」跡が近くに比定されたため。

その宮も推古天皇の御代に築かれた「掖上池」を、その地に比定したことによります。判然としない比定の経緯。

近いとはいっても1kmほどは離れており、南方には数百基はあろうかという群集墳もあります。この「山」に本当に孝昭天皇が眠るのかどうかは分からないというのが結論かと。

孝昭天皇の皇后は世襲足媛(ヨソタラシヒメ)。尾張連の祖とされる瀛津世襲(オキツヨソ)の妹。

尾張連はかつて葛上郡「高尾張邑」に拠点があったとされ、饒速日命の東遷に従って大和にやってきたものと思われます。第13代成務天皇の御代に乎止與命が尾張国造となり移住しています。

瀛津世襲・世襲足媛の父は天火明命三世孫 天忍男命、母は葛城国造 剣根命の娘 賀奈良知姫。

余談ですが乎止與命の孫が櫂子(カジシ)。葛木坐火雷神社が縁の社。

葛城国造家と、武内宿禰を父とし一族の祖である葛城襲津彦の葛城氏とは別系統ながら、姻戚関係を結ぶことで同族化しています。

その葛城氏は鴨族を征服したのか、或いは提携関係があったのか。鴨都波神社のすぐ側であるというのが興味深いところ。
創祀は孝昭天皇より遥か昔のことと思われます。また現在より遥かに大きな神域であったかと思われ、御陵の間近まで或いは御陵にまで神域がかかっていたかもしれません。

隣には孝昭天皇神社(孝昭宮)が鎮座しています。元々丘上にあったものが、陵墓比定の際に遷座させたそうです。

*写真は2018年9月と2021年7月撮影のものとが混在しています。


向かって右隣は孝昭神社(孝昭宮)への鳥居。