櫛玉比売命神社 (附 櫛玉媛神社古墳)


大和国廣瀬郡
奈良県北葛城郡広陵町弁財天399
(P無し、境内進入禁止、社前道路は広いためいつも停め置きしています)

■延喜式神名帳
櫛玉比売命神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神


「高田川」にほど近い西側平坦地、前方後円墳頂に鎮座する社。一の鳥居は「高田川」堤防沿いに、なかでもご本殿は後円部頂に設けられ、埴輪片も出土するとのこと。
◎ご祭神は饒速日神の后である御炊屋姫命とする説が強く、偶然なのか伊予国の同名社(未参拝)も前方後円墳頂に鎮座し、同じく御炊屋姫命を配祀としています。
◎墳名は「櫛玉媛神社古墳」。全長約30mの前方後円墳、周濠有り。馬見古墳群の中群が「高田川」対岸に位置します。直近の調査で古墳時代後期前半(6世紀前半)のものと判明。墳丘は禁足地であるため綿密な調査は不可。このたび墳丘の木が倒木した際に、頂上部付近で埴輪が発見、そこから築造年代が割り出されたというもの。
◎伊豫国の同名社そして当社と、いずれも御炊屋姫命の墓所とは考えられず、古墳と神社の関係は不明。ただ二社ともにその結び付きを考える上では重要な事例かと思います。
◎ご祭神については御炊屋姫命とするものと、いわゆる「櫛玉比売神」とするものの2説。そもそも「櫛玉比売神」というものが記紀には記されない神。
御炊屋姫命については、同じ廣瀬郡に鎮座する廣瀬大社(廣瀬神社)の相殿のご祭神である「櫛玉命」が饒速日神のことと考えられ、これに対応するものかと思われます。
また添下郡の矢田坐久志玉比古神社は「久志玉比古神」を祀り、それは饒速日神のこととされています。高市郡には櫛玉命神社があり、こちらはいわゆる「櫛玉神」を祀る神社でしょうか。その「櫛玉神」とは玉造部に関する神のこと。
◎当社に関しては「大和志」と「大日本史」(江戸~明治時代、水戸光國他著)が、御炊屋姫命を宛てています。
◎大福寺という近くの仏教施設が所蔵する、「箸尾満嶋弁財天瑞夢記付記」(応長二年、1312年)の「縁起現記」(文安元年写)というものに、古墳は聖徳太子築造で、弘安七年(1284年)に当地氏人僧侶らが天河弁財天(記事未作成)から勧請、墳上に社殿を造立したとあるようです。
おそらくは聖徳太子人気に仮託した後世の附会なのでしょうが、聖徳太子が生存した6世紀後半~7世紀初頭と、実際の古墳の築造推定時期ともかけ離れています。
◎社家ではその弁財天を邸内に祀るとされます。境内の社家宅の脇にそれらしき境内社が鎮座しています。櫛玉比売神が弁財天となり信仰を集め、そのまま地名にまでなったというのが当社側の考え方のようです。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。



「高田川」沿いに建つ一の鳥居。

境内は社家以外の車両進入禁止。


前方後円墳の後円部頂に鎮座するご本殿。