建水分神社
(たけみくまりじんじゃ)


河内国石川郡
大阪府南河内郡河南町千早赤阪村大字水分字水分357
(P有)

■延喜式神名帳
建水分神社の比定社

■旧社格
府社

■祭神
[中殿] 天御中主神
[右殿] 国水分神 瀬織津姫神


「高天山(金剛山)」のすそ野、大阪府側(河内国側)に鎮座。反対側の大和国には葛木水分神社が鎮座しています。
◎創祀は崇神天皇五年とされ、大飢饉となったときに各地にため池などがこしらえられますが、その時に水分神が祀られたとしています。
紀には「崇神天皇五年 国内に疫病が広まり国民の大半が死亡した(大意)」という記述があります。また「六年 百姓は流浪し或いは背く者も 国内が荒れる勢いは凄まじく (天皇が)徳をもって国を治めることは難しくなった」と。
このような大変な時期。すがるように祈りが捧げられたものと思われます。
◎当社は俗に「上水分社」とも。これは同じ水分神を祀る美具久留御魂神社とで上下を区別したもの。
◎水利をめぐっては、江戸時代に「高天山(金剛山)」を挟んで大和国と河内国との論争が繰り広げられ、結局河内国の方が敗れました。
◎歴史的には華々しさはないものの、楠木正成公が当社を篤く信仰したため、境内には正成公を祀る南木神社(なぎじんじゃ)が鎮座。南北朝の争乱により当社を再建したのも正成公、楠木氏の氏神となっていました。南木神社の方がご本殿等も立派で、人気もあるようです。



ご本殿は高台にあり、直接拝むことはできません。

以下2枚の写真は南木神社。