石床神社 (旧社地、巨石信仰)


大和国平群郡
奈良県生駒郡平群町越木塚石床784
(P無し、駐車場のある現社地から歩くか農道に停めるか)

■延喜式神名帳
平群石床神社 大 の論社

■祭神
剣刃石床別命(ケンジンイワトコワケノミコト)


高さ8m幅10数m(或いは20m超か)の巨大陰石がご神体、中央部に亀裂が走りそのままの姿をしています。
◎社殿無し鳥居のみの古代祭祀形態をそのまま残す社、現在は近くの消渇神社(元 素箋嗚神社)の境内にある石床神社に遷座されています。
「大和志」には「平群石床神社 在越木塚村称曰巌上祠旁有巨石名石床」と記されており、かつては祠が存在したようです。
◎あまりに巨大であり、現在は樹木等に遮られているため全容把握は困難ですが、いくつかの磐が組み合わさっているように見受けられます。ところが大場磐雄氏によると、「ニ塊」の巨石で構成されていると。
その「ニ塊」の巨石が合わさり中央に縦孔が有り、これが性器崇拝のものと思われます。大場氏はこれを後の俗信仰としていますが、紛れもなく上古からのいわゆる陰石かと。
なお全容把握が困難なため、組み上げた「磐座」なのか、露出岩盤に対する「巨石信仰」なのか、判別はできていません。当地はこの岩質の巨石が多く露頭しており近隣の古墳石室にも利用されているとのこと。
◎ご祭神の剣刃石床別命は文献等には現れない神、産土神であったのだろうと考えられていますが、元々は饒速日神が祀られていたとする説が有力。あるいは平群氏の祖神かも。また磐排別命(イワオシワクノミコト)の可能性も考えています。
◎当地すぐ近くを「伊文字川(いもじかわ)」が流れています。これは「鋳物師(いもじ)」たちの痕跡かと思われます。したがって個人的には産鉄氏族たちによる信仰の可能性も考えています。金山媛神などではないかという思いも。
◎少々高台にあり(現在は石垣が組まれている)遠くからもはっきりと分かるご神体。五穀豊穣、子孫繁栄を祈る根源的なシンボルとして原始的信仰が行われていたようです。


*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。