石床神社
(いわどこじんじゃ)


大和国平群郡
奈良県生駒郡平群町越木塚734
(20~30mほど南側にP有、アクセス道はやや狭小で通行注意)

■延喜式神名帳
平群石床神社 大 の比定社

■旧社格
村社

■祭神
剣刃石床別命(ケンジンイワトコワケノミコト)


「竜田川」沿いに南北に細長く広がる「平群谷(へぐりだに)」の、西岸丘陵地に鎮座する社。
◎巨大陰石を御神体とする旧社地から大正時代に消渇神社(元 素箋嗚神社)境内に遷座しました。こちらでは拝殿奥におそらく陽石とおぼしき磐座が座しています。
旧社地では巨大陰石そのものを御神体としてそのまま拝する形態、遷座して初めて社殿が設けられたようです。「大和志」には巌上祠が存在した旨の記述はありますが。
◎ご祭神は出自事蹟ともに不明の神。多くの資料が指摘しているように饒速日神が有力です。旧社地の近くを「伊文字川(いもじがわ)」が流れていますが、これは「鋳物師(いもじ)」つまり鍛治集団が住んでいたことを示すものかもしれません。饒速日神として祀られていたものが、鍛治集団の移住に伴い剣刃石床別神と名を変えたと推測されます。
◎ところが旧社地の御神体は陰石。女神が祀られていた可能性も。「鋳物師」たちが活動する前より採鉱がなされていたとすれば、金山媛神辺りが祀られていたという考えも。
消渇神社は女性の下半身にご利益があるという俗信仰により、参道に茶店が出るほど大いに賑わっていたとか。当社が遷座されたのは旧社地の巨大陰石が関係しているのかもしれません。


*写真は2018年4月と2021年12月撮影のものとが混在しています。


ここから左手に行くと消渇神社へ。



左殿(向かって右殿)の下に陽石状の神護石が見えます。