登彌神社
(とみじんじゃ)


大和国添下郡
奈良市石木町648-1
(P有、一の鳥居から北西20~30mほどのところに入口があり坂を上る)

■延喜式神名帳
登彌神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
[東本殿] 高皇産霊神 誉田別命
[西本殿] 神皇産霊神 登美饒速日命(トミノニギハヤヒノミコト) 天児屋根命


神武天皇が皇紀4年に皇祖天神を祀ったのを創祀とする神社。饒速日神が降臨したとされる「トミ」の地にあり、もう一つの有力な降臨地候補である桜井市のほぼ同じ社名の、等彌神社ともほぼ同じ由緒。
◎創建については、登美連が祖神である饒速日神夫妻を祀ったとしています。矢田坐久志玉比古神社、または等彌神社からの勧請とする説もあります。
◎当地は饒速日神の居住地とする説、背後の山は墓所とする説もあるなど縁の濃い地。首長であった長髄彦神(ナガスネヒコノカミ)が、饒速日神を奉じて神倭磐余彦(後の神武天皇)軍と戦いました。その饒速日神が神武側に帰順したため滅んだのですが、その地の「霊畤(まつりのにわ)」に皇祖天神を祀ったというもの。当然なのか偶然なのか、両社とも神武天皇が皇祖天神を祀った地に饒速日神が祀られます。
◎境内の近くを「富雄川」が流れ、古代より豊かな水源を糧に栄えた地であると思われます。また当社前で流れが止まるようで木材運搬の集積地となっていたとも。「木嶋明神」と呼ばれていたのはそのためであるとか。
境内背後の山は鬱蒼としており誰も足を踏み入れていないものの、おそらく色々な謎が隠されているのであろうと神職さんは言われています。禁足地とはしていないが、足を踏み入れるべきではないとも。
◎さらに枚岡神社から春日大社へ遷幸した際に当地で休息を取った由縁で、春日神を勧請したようです。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。