鹿高神社
(かたかじんじゃ)


伊賀国名張郡
三重県名張市安倍田1942
(P有、国道より坂を上る、入口の標識案内無し)

■旧社格
村社

■祭神
鹿高神
[配祀] 大山祇神 天児屋根神 蛭子神 五男三女神 応神天皇 建速須佐之男命 大物主命 菊理比売命 宇迦能御魂神 奥津比古神 奥津比売神 市杵嶋比売命 大日靈貴神 八意思兼神 火之迦具土神 大綿津見神


「初瀬街道」(概ね国道165号線)沿い、大和との境近くに鎮座する社。
◎式外社で国史見在社。創建時期は不詳ながら任申の乱の際に大海人皇子(オオアマノオウジ、後の天武天皇)が、吉野を脱出し当地を通り近江へと向かう際に、「宇陀川」が洪水し立ち往生していたところに神霊が二頭の鹿となって現れ、渡してくれたと社伝にはあるようです。
◎また「安倍田村由来記」(1585年)には、706年に白鹿霊春日明神を相殿神として祀ったともあります。
◎大海人皇子が近江に向かう進路であったことと洪水に関しては史実であったとして、鹿が渡してくれたというのは藤原氏による後世の附会かと。
◎ご本殿背後に控える山に古墳が3基築かれています。「鹿高神社境内古墳」として名張市指定史跡に。前方後円墳1基と円墳2基。前方部と後円部の両方に石室が開口する珍しい古墳。6世紀中頃と推定され、当地を治めた豪族の首長墓と考えられています。
◎謎を秘めた社。2018年3月の参拝時には20年に一度の遷宮式の翌日、式内社でもないのに遷宮式が受け継がれていること、また当社のお世話をされている大工から伺った中では、古式に基づきそれが盛大かつ厳粛に行われている様子。さらに皇太子殿下(現 今上天皇)も大和の大神神社に巡幸の際に、わざわざ当社にも立ち寄られているとのこと。上述した由緒の中ではその理由が見えてきません。

※写真は過去数回に渡る参拝時のものが混在しています。



川沿いの一の鳥居。

国道沿いの二の鳥居。








石室の石組みのおかげで、木が倒れず支えられているようです。