高橋神社


大和国添上郡
奈良市八条5-338
(P無し、社前に車1台のスペース有)

■延喜式神名帳
高橋神社の比定社

■祭神
磐鹿六鴈命(イワカムツカリノミコト)


「佐保川」の土手に鎮座する小さな社。旧社地は北へ100mほどのところだったようです(現地未確認)。
◎ 磐鹿六鴈命という料理人の祖神を祀る数少ない社、他に上総国などで祀られています。
◎景行天皇五十三年、「東国へ巡幸し上総国に到着。海路から淡水門を渡る際に覚賀鳥の声を聞いたので、姿を見ようと沖へ出ると白蛤を得た。磐鹿六鴈が蒲の穂を襷にして、白蛤を膾(なます)にして献上。その功により六鴈は膳大伴部(カシワデノオオトモベ)の姓を賜った」(大意)とあります。
◎「高橋姓」を名乗るようになったのは天武天皇十二年。磐鹿六鴈命十二世孫の国益以降の時。当社創建はそれ以降から神名帳編纂の延長五年(927年)の間ということになるのでしょうか。
◎崇神天皇の御代、疫病が大流行し国力が弱った際に大物主神が夢枕に現れて「大田田根子に我を祀らせろ」とお告げがありましたが、大田田根子を神主として大神神社で祀ると疫病は収まり国が安らかになりました。
その祭りの時に高橋邑の活人に酒を造らせお神酒として捧げたとされています。この「高橋邑」が当社旧社地だったということ。「活人」とは高橋活日命のこと。大神神社の境内社として活日神社が鎮座します。
◎また翌年四月には大神神社に「掌酒(さかびと)」の役職が設けられ、同年十二月には宴が催されています(→ 書紀抄録「疫病鎮静後の宴」の記事参照)。
磐鹿六鴈命栲幡千千姫命は高橋氏の祖神とされています。高橋活日命については、別系統の高橋氏であるとする説が一部にあります。
◎かつての式内社に見合う神社ではありませんが、小さいながらもキレイに整えられた社です。

*写真は2016~2017年の冬頃と2021年9月撮影のものとが混在しています。




車はいつもここに停め置きます。ちょうど1台分のスペース有り。