都祁山口神社 (天理市杣之内町)
(つげやまぐちじんじゃ)


大和国山邉郡
奈良県天理市杣之内町東垣内896
(P無し、いつも社前の坂道を上がる手前に寄せて停め置いています)

■延喜式神名帳
大社 月次 新嘗 都祁山口神社の論社

■旧社格
村社

■祭神
[配祀] 久久迩知命(クグノチノミコト) 波爾夜須命


同名の都祁山口神社が奈良市都祁小山戸町にもあり、いずれも式内大社の論社、決めかねているようです。
◎当社は天理市「杣之内町(そまのうちちょう)」に鎮座、山口神社に相応しい地名。その集落の丘陵地。もう一社が水分社とも言われ山中に鎮座していることを考えると、地理的には優位なのかもしれません(都祁小山戸町の方はかつて都祁水分神社と同座していたと伝わる)。境内の雰囲気や磐座(磐境か)も往時のままだとすればなおさらのこと。
◎「大和志」は「山口村ニ在リ 今水口明神ト称ス」としています。旧「山口村」であり、これが候補の一つに挙げられる根拠になったかと。
ところが当地を「都祁」とするには甚だ難有り。一般的に「都祁」地方とは10kmほど東方。当時は都介氏が活躍していた時代であり、やはり「都祁」とはそちらの方であるのかと思われます。
◎創建年代は不詳。天平二年(730年)に都祁山口神社に対して神戸があったことが「正倉院文書」に見えます。
◎江戸時代には白山権現(イザナミ神か)と称され、若宮は午頭天王。現在も境内末社として素盞嗚神社があります。「大和志」には明治十年の調書に「神殿無之」とあり、磐座(磐境か)のみが座していたということでしょうか。
大山祇命はもとより、配祀の久久迩知命は「木の精」であり山口神社に相応しい神。波爾夜須命は「土の神」、こちらもまた相応しいかとは思いますが。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。









こちらが磐座或いは磐境。