石上市神社
(いそのかみいちじんじゃ、いわがみいちじんじゃ)


大和国山邉郡
奈良県天理市石上町255
(P無し、近隣停め置き不可)

■延喜式神名帳
石上市神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
少彦名命


天理市街地より北方の郊外、「石上町」に鎮座する社。古代は東方1km近く離れた「平尾山」に鎮座していたと考えられています。
◎「大和志」(享保二十一年・1736年)には、「今天神と称す 村の東 平尾山に其の旧跡有り(大意)」とあります。旧跡に現在は姫丸稲荷神社が鎮座しています。
◎「奈良県史」は「大和志」を引き、旧社地(姫丸稲荷神社)には「平尾天神宮」銘の石灯籠があることを指摘、整合を図っています。
遷座時期については、大正九年の当社本殿造替の時に、本殿跡から「貞享丙寅六月二十五日 氏子寄進施主敬白 住持道盛」の石が発見され、このことから貞享年間(1684~1688年)とみています。
◎社名の大和への「市」という言葉からいろいろと連想されます。「市場」「神大市姫」「市辺押磐皇子」など。
◎ご祭神の少彦名神は明治になってからのもので、本来とは異なる神だと考えられます。他にもスサノオ神などの説もありますが、いずれも少彦名神を経由してのものでありいずれも異なると思われます。
◎「市場」ということから考えると、食の神であるウカノミタマ神や大歳神を生んだ神大市姫は薄いながらも考えられる説。「神名帳考証」「山邊郡誌」「特撰神名牒」はこちらの説を採ります。
◎「神社覈録」はいつも通りの「祭神不詳」。
◎雄略天皇に某殺された市辺押磐神の「石上市辺宮」が、当社旧社地(現在は姫丸稲荷神社が鎮座)にあったとされることは重要な手がかり。逃亡を続けた後に発見されて天皇となった、またその地は市辺押磐神の皇子である弘計王・億計王。弟の億計王(仁賢天皇)の「石上広高宮」であったとする説も。根拠が薄いとはいえこの説がもっともしっくりとくるようです。
◎なお石上神宮榜示浚(ぼうじざらえ)神事が行われる一社でもあります。

*写真は2016年夏~秋頃と2024年4月撮影のものとが混在しています。