姫丸稲荷神社


大和国山邉郡
奈良県天理市石上町平尾山
(P有、周りの木枝のはみ出しも多く車がギリギリ通れる程度なので運転は要注意)

■延喜式神名帳
石上市神社の論社

■祭神
宇賀御魂神


集落からは外れ、鬱蒼とした竹藪の中に埋もれるように鎮座する社。小高い丘のような「平尾山」(標高104m)と呼ばれています。
◎この忘れ去られたような地がおよそ1500年前、日本の中心地であった時期がありました。当社は石上市神社の旧社地であったと考えられています。そして第24代仁賢天皇(億計皇子)の「石上廣高宮」、もしくは父神の市辺押磐皇子(イチノヘノオシハノミコ)の「石上市辺宮」の跡地であるとも。さらに当社東100mほどに「石上銅鐸」2体が発見されています。付近には5世紀頃の大きな前方後円墳がいくつもあることなどから、社頭案内に「我が国政治・文化の中心地」とあるのも誇張ではないかと思います。
◎「式内社 石上市神社」が現社地に遷されたのは貞享年間(1684~1688年)とされています。そして当地には稲荷社だけが残ったものと。創建時期については不明。ただ当地が宮跡であったこと(異説あり)、銅鐸も出土していることから上古からの神祀りの地であったとも考えられます。なお「式内社 石上市神社」については、現在の石上市神社の記事を参照。
◎当社地名はかつて「宮の屋敷」であったそうです。もちろんその「宮」は石上市神社。「屋敷」は「廣高宮」ということでしょうか。
◎麓には寺院も多く建てられたようで、補陀落山観音院本光明寺もその一つ。後に櫟本町(いちのもとちょう)に遷され在原寺となっています。それは六歌仙の在原業平の出生ゆかりの寺で、幼少の頃は「平尾丸」と呼ばれたとも(参照→ 在原神社の記事にて)
◎境内は神寂びたというべきか、荒廃しているというべきか雑然とした状態であり、かつての栄えた面影はまったくありません。竹藪が蔓延っていることから、このような状態になった歴史はそう深くないと思われますが。稲荷神の眷属神がびっしりと乱立しているのが印象的。


平尾山西側からの道。国道169号線から来来亭やガストのある南側の交差点を東へ(西へ進むと石上市神社)、ほどなくこの鳥居が現れます。

この石碑の左手が駐車場。



20~30社もの眷属神が乱立。