金山彦神社


河内国大縣郡
大阪府柏原市青谷1025
(いつも境内横に停め置きしています)

■延喜式神名帳
金山孫神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神


「龍田山」や「嶽山」(正確な場所は不明)など、古代鑪(たたら)製鉄が営まれたという「雁多尾畑(かりんどおばた)」から少し下った「青谷」の地に鎮座する社。
◎当社からさらに奥地へ進んだ金山媛神社とともに、鉄の神を祀るとされる社。金山媛神社の辺りから奥地にかけては、「雁多尾畑(かりんどおばた)」と呼ばれる古代鑪(たたら)製鉄跡地。こちらの「青谷」という地名も谷川健一氏は、「青」は鍛治と関係のある地名ではないかと推測されています。
◎元の鎮座地はさらに奥地の「嶽山」に正確の峰にあったとのこと。これは現在の「竜田古道の里山公園」(当社より北東1km足らず)の辺りとされますが、詳細不明、痕跡等無し。ところがこれは龍田大神が降臨したという龍田本宮 「御座峰」のすぐ近く。だから旧社地がそこなのか、或いは龍田大神の降臨と混同されているのか、意見が分かれるところ。龍田大神は風神ですが、これは鑪製鉄に必要な風を神格化したもの(谷川健一氏の説による)。
◎製鉄は弥生時代後期~応神河内王朝まで続いたと考えられています。鉄屑(かなくそ)も金山媛神社には奉納されています。
◎別説として「河内名所図会」には、「青谷村の山頂にあり 旧跡に老松あり 八大金剛童子社と称す」とあります。つまり「雁多尾畑」ではなく「青谷」にあったと。老松は探すも見付けられていません、もう消失したのかもしれません。
◎夫婦神のそれぞれを祀る当社と金山媛神社とは対になるとされていますが、異なる氏族が奉斎していたとする説も。金山媛神社は後に阿刀連と改姓する上村主(カミノスグリ)一族が奉斎していたと。一方当社の方は鳥取氏が奉斎していたのではないかというもの。
◎当地はかつての大縣郡鳥取郷に属すると考えられます。上記別説の通りに旧社地が「青谷」にあったとするなら、あり得ることかと。
鳥取氏は和泉国日根郡から当地へ移住してきた鍛冶氏族。同じ「鳥取郷」内の西麓に、一族が奉斎していたという天湯川田神社宿名川田神社が鎮座しています(詳細は両社の記事にて)。
◎この説を採るなら、地理的なものから当社こそが一族の当地での氏神になるのかと思います。天湯川田神社は鎮座地の形状から一族の首長の古墳であった可能性も。
金山媛神社を奉斎していたという上村主とは採鉱の際に奪い合いとはならず、友好的な関係にあったという想像もできようかと。
◎平成十年には境内で鑪製鉄の復元の実験が行われました。ご本殿の向かって右側に炉の跡あり。とにかく宮司さんの手の行き届いた美しく清浄な社。凛とした空気を感じ取れます。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。






たたら炉