◆ 火吹く人たちの神 ~50







谷川健一氏が言う
「鉄」と大いに関わる垂仁天皇の皇子たち。

今回の記事では
三神目と四神目が一気に紹介されます。




第二部 古代社会の原像をもとめて
第一章 垂仁帝の皇子たち



■ イニシキ・ホムツワケの二皇子とたたらとの因縁

続いて登場する垂仁天皇の皇子は五十瓊敷命(イニシキノミコト、記は印色入日子命)。丹後から二番目の皇后として迎えられた日葉酢媛との間の長子。
また誉津別皇子(ホムツワケノミコ)は一番目の皇后であった狭穂姫との間の皇子。啞であったことが記紀に記されます。




◎大刀一千口を石上神宮へ蔵む

崇神天皇三十九年紀に以下の記事が見えます(本書に倣い読み下し文にて)


━━五十瓊敷命、茅渟(ちぬ)の菟砥川上(うとのかはかみのみや)宮に居しまして、劔一千口を作る。因りて其の劔を名けて川上部(かはかみのとも)と謂ふ。亦の名は裸伴(あかはだがとも) [裸伴、此をば阿箇幡娜等母(あかはだとも)と云ふ] と曰ふ。石上神宮に蔵む(をさむ)。是の後に五十瓊敷命に命せて、石上神宮の神宝を主らしむ(つかさどらしむ)。一に云はく、五十瓊敷皇子、茅渟の菟砥川上に居します。鍛名(かぬちな)は河上を喚して大刀一千口を作らしむ。是の時に楯部(たてぬいべ)・倭文部(しとりべ)・神弓削部(かむゆげべ)・神矢作部・大穴磯部(おおあなしべ)・泊橿部(はつかしべ)・玉作部・神刑部(かむおさかべ)・日置部・大刀佩部(たちはきべ)并せて十箇の品部もて、五十瓊敷皇子に賜ふ。其の一千口の大刀をば、忍坂邑(おしさかのへき)に蔵む。然して後に忍坂より移して石上神宮に蔵む。是の時に神、乞はして言はく「春日臣の族、名は市河をして治めしめよ」とのたまふ。因りて市河に命せて治めしむ。是今の物部首が始祖なり━━

春日臣市河が物部首の始祖であると記しています。春日臣氏は和邇氏の系統。和邇氏は大和国添上郡「和爾」(現在の天理市「和爾町」「櫟本町」・いちのもとちょう)を出身とし、総氏神とされる和爾坐赤阪比古神社の他、和爾下神社(上治道天王)和爾下神社(下治道天王)櫟本高塚遺跡や東大寺山古墳群等、一帯に遺跡が集中します。
多くの后妃を輩出しましたが、早くに凋落。そして和邇氏は春日臣氏(後に大春日臣氏)や大宅臣・粟田臣・小野臣等の16氏族に分岐。春日臣氏が本宗家を継いだとされます。後裔氏族からは小野篁や小野妹子、柿本人麻呂等著名人を多く輩出しています。

本題から逸れましたが…。

劔の名を「裸伴(あかはだがとも)」としたことに谷川健一氏は着目。
「野だたらのふいごを踏む男たちが、いつも真っ裸で仕事をしているさまを考えてみたい」と。中国山中では真っ裸で肌を汗で濡らし、歌を歌いながら仕事をしていたという事例を上げています。

さらに十箇の品部に「大穴磯部」が含まれていることにも着目。
鉄山を掘り崩し砂鉄を採る者の総監督を「鉄穴師(かんなじ)」と呼びます。この言葉は現在でも残り、「穴師」とは今の「鉄穴師」に当たるもので、それらの部民が「大穴磯部」と呼ばれていたのだろうとしています。

私個人が着目するのは、丹後から迎えられた日葉酢媛の長子である五十瓊敷命が命ぜられた点。丹後の豊富な鉄素材が使われたのではないかとも考えます(後述します)



[大和国山邊郡] 石上神宮




◎「茅渟の菟砥川上宮」

五十瓊敷命が居て劔を鍛えたという「茅渟の菟砥川上宮」は、「地名辞書」によると、和泉国の「東鳥取郷」としています。

「和泉志」によると「鳥取郷(ととりごう)」は、「自然田村(じねんだむら)にあり」と記し、そこには「深日(ふけ)」の鍛冶谷があるとしています。その隣の泉南市岡中から銅鐸が出土しているとのこと。


この「鳥取郷」には「鳥取部」がいたところであろうとしています。「鳥取郷」の範囲に就いては、「和泉志」が現在の泉南郡阪南町(さらに現在は阪南市となった)の一部としているのに対して、「日本歴史地名大系」は阪南町(現在の阪南市全域)だけでなく岬町までを含むとしています。

岬町「淡輪(たんのわ)」には五十瓊敷命 宇土墓があります。ただし築造年代が合わず、また出土品から紀氏系の墓ではないかともされます。五十瓊敷命の墓と伝承されるのは、この地にも五十瓊敷命のゆかりがあったからでしょうか。




[和泉国日根郡] 五十瓊敷命 宇土墓




◎「谷川(たながわ)


泉南郡の最南端(最西端)、つまり大阪府の最南西端に岬町「谷川(たながわ)」という地名が残ります。「多奈川」という表記も。


「地名辞書」は以下を記しています。

━━谷川(タガハ・タナガハ)
今多奈川村に改む、泉州の最西南にして、紀淡海峡加太瀬戸の東北に在り、俗に田川と呼ぶ、鳥取連祖天湯河桁(アメノユカハタナ)は此地の人なりしか。又土佐日記云、ぬしま(淡路沼島)と云所を過ぎて田無かはと云所をわたる、辛くいそぎて和泉のなだと云所に至りぬ。按ずるに桁は此地方の古名なるべし、淡輪(たんのわ)は桁の洄なるべく、谷川は桁川なり。日本書紀に「五十瓊敷命、遊茅渟居菟砥川上宮」とある注に「一云鍛名川上」と記入せり亦此辺なり━━


「谷川」という地には上記の通り、「日本歴史地名大系」によると「鳥取郷」に含まれています。また「茅渟の菟砥川上宮」も然り。


そして「新撰姓氏録」には、「和泉国 神別 鳥取 角凝命(ツノコリノミコト)三世孫天湯河桁命之後也」との記載有り。


天湯河桁は、大人になっても物を言わなかった誉津別皇子が白鳥を見て初めて口を開いたので捕まえるために遣わされたことが記紀に見えます(→ 【古事記神話】もの言わぬホムチワケ皇子のためなら…)

また白鳥を捕らえ献上したことにより、「鳥取造」姓を賜り、鳥取部・鳥養部(とりかひべ)・誉津部(ほむつべ)を定めたとあります。


「鳥取郷」に天湯河桁が住んでいた、或いは後裔が住んでいたとすると、そこで劔を作った鍛冶集団と関連していることが推測されるとしています。


[但馬国城崎郡] 久々比神社

天湯河桁が追った白鳥(鵠)の飛来伝承地の一つ。境内にはコウノトリのブロンズ像が立てられています。




◎火の中で誕生したホムツワケ


記には火の中で誕生したことによる名であると記される誉津別皇子。つまり「火持別(ホモチワケ)」または「火貴別(ホムチワケ)」であると。

これはたたらの炉の中から出生したということではないかと、そうだとすれば、鍛冶氏族の信奉する白鳥を見て初めて物を言うようになったという解釈もできるとしています。


「鉄山秘書」に、播磨国宍粟郡の千種の「岩鍋」から金屋子神は白鷺に乗って出雲国意宇郡の「比田」に渡ったとあります。

「千種鋼」の名を天下にとどろかせたところから、播磨から出雲に渡ったというのは、製鉄技術が伝えられたということ、或いは鍛冶集団の移動を表すもの。


天湯河桁が白鳥を追いかけたのも、そうした痕跡を伝える話とみられないこともないとしています。

そもそも記紀の間で飛来地の記述が異なっており、これは鍛冶集団が移動したことによるものではないかと考えています。


またここでも白鳥が登場しており、鍛冶集団が信奉していたことが窺えます。



[出雲国意宇郡] 金屋子神社



◎中河内の「鳥取」

現在「河内」というと大阪府南部を指します。ところがかつての「河内」は、大阪府の北から南まで跨がっていました。いつの頃からか「北河内」「中河内」「南河内」と称されるようになり、そのうち「南河内」のみが「河内」と認識されるようになったのです。

またまた余談となりました…。

「中河内」の大県郡にも「鳥取郷」があります。前回の記事で勇み足で少々触れておりますが…。

天湯河桁を祀る天湯川田神社が鎮座。また天湯河桁の父ではないかと思われる少彦名命を祀る宿奈川田神社も鎮座。さらに金山彦神社(金山媛神社は物部氏系の阿刀連が奉斎したとされる)といった「鳥取氏」が奉斎した式内社が集中しています。


この地はたたら製鉄に必要な暴風が吹きます。近辺で最も高い位置に龍田大神(風神)が降臨したという「御座峰」が伝わります。

また前回の記事に登場した垂仁天皇皇子である鐸石別命が祀られていると思われる鐸比古鐸比賣神社も鎮座します。



[河内国大県郡] 天湯川田神社




◎丹後の「鳥取」

本書には触れられていませんが、「鳥取」という地名は各地にみられ、鳥取氏が鉄を求めて移動したのでしょうが、丹後国丹波郡(竹野郡との境がはっきりとしない)にも「鳥取」という地が存在します。

こちらには「遠處遺跡」という6世紀頃の鍛冶製鉄跡があります。河内国大県郡の遺跡よりも1世紀分ほど後の時代でしょうか。

さらに東隣の「奈具」には「奈具岡遺跡」があり、そちらは1~2世紀頃の巨大な鍛冶製鉄跡が見つかっています。こちらも後に鳥取氏となる部族が携わっていたのでしょうか。或いは異なる部族が行っていたところに後から鳥取氏が入り、引き継いだのでしょうか。

鳥取氏のルーツは案外こちらなのかもしれません。鍛冶製鉄技術は朝鮮半島から流入したとみるべきであり、鳥取県等を含めて、ルーツは日本海側にあるべきだと考えます。
角凝命という神が実在したのであれば、やはり日本海側に居たとしか考えられません。

五十瓊敷命の母である日葉酢媛が垂仁天皇に二番目の皇后として招かれた際に、丹後に居た製鉄鍛冶技術集団がヤマト王権に招かれた?彼らは「鳥取部」として王権に組み込まれた?そのような可能性を考えています。




[丹後国竹野郡] 「奈具岡遺跡」のある丘陵
奈具神社の社前より撮影





今回はここまで。

最後は【丹後の原像】のようになってしまいましたが…
これはヤマト王権の初期段階に丹後の鉄が大いに関与していたからこそと思います。



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