国を動かす | Poco a poco -難病と生きる-

Poco a poco -難病と生きる-

スペイン語の「poco a poco」は、日本語では「少しずつ」「ゆっくりゆっくり」という意味です。遺伝性による難病、脊髄小脳変性症を患っていると診断された2015年7月(当時34歳)以降、少しずつ身体が動かなくなる恐怖と闘いながら、今日を生きる僕の日記です。恐縮です。

もし、貴方が生きていく上で理不尽な障害と対峙することになったら、どうするか――。闘うよな。少なくとも、ファイティングポーズぐらいは取るんじゃないかな。では、相手が途方もなく巨大な勢力だったら。逆立ちしても勝てない相手だとしたら、それでも立ち向かえるか。

 

ここでは、難病を患ってしまった一人の青年に焦点を合わせる。青年というか、おっさんだけどな。彼は健常者時代、何でもできた。仕事も順調だったし、趣味も充実していた。リア充ってやつだ。結婚相手もいた。それが、病気を患って、全てを失うことになった。残酷だよな。

 

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彼はどうしたか。患者会を訪ねた。そこで勧められるがままに理事になる。患者会活動の他、雑誌への執筆活動、講演、テレビの取材と精力的に活動する。同じように病気に苦しむ仲間に対する共感、共鳴を形として残す。凄いよな。普通なら、居酒屋で仲間と愚痴って終わりだ。

 

 

彼の得意分野だった就労問題。これまでの社会人生活の大半を、人事採用関係の仕事に費やしてきた。彼は20代で年収1,000万円のオファーを受けたり、取引先の社長から後継者として名指しされたりと、転職先に困ることはなかった。それが、突如として苦戦することになる。

 

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難病患者=障害者ではないのだ。だって彼は確定診断後も、日常生活に努めていた。フルマラソンも走ったんぜ。それが、患者や家族から賞賛される一方で、身体障害者手帳を交付されない理由になってしまったらしい。曰く、透明人間になってしまったようだと。理不尽だよな。

 

 

同じような境遇に悩んでいる求職者が多いことを、掲示板サイトで知る。殆どの当事者とは異なり、彼は書き込まなかった。その代わり、難病団体が主催するイベントにパネラーとして登壇するんだ。彼は主張する。我々難病患者が、法定雇用率へ算入されますようにってね。

 

難病でも安心して働ける社会を 就労支援策、フォーラムで議論

 

それから暫く、遂に国会に請願書を提出するに至る。もうあの頃のように快活に喋ることはできない。走ることはおろか、歩くことさえできない。でも、彼は生きている。どうか、この法案が通るように応援して欲しい。そして、法案化された暁には誉めて欲しい。だよな。

 

難病患者を障害者雇用率の対象に 患者団体が就労支援へ請願書