【追憶】復活のプロローグ | Poco a poco -難病と生きる-

Poco a poco -難病と生きる-

スペイン語の「poco a poco」は、日本語では「少しずつ」「ゆっくりゆっくり」という意味です。遺伝性による難病、脊髄小脳変性症を患っていると診断された2015年7月(当時34歳)以降、少しずつ身体が動かなくなる恐怖と闘いながら、今日を生きる僕の日記です。恐縮です。

05年の春が終わろうとしていた当時。二者択一を迫られていた。タウン誌の編集ライター職か、人材紹介の営業職か。夢を追うなら前者。経験や適性を追うなら後者。第二新卒という言葉もまだ定着していなかった時代に、内定を出してくれた会社に感謝しつつ、返答に悩み苦しむ。

 

雇用形態は前者だと契約社員。後者は正社員。勤務地は前者が町田で後者だと表参道。給与はどちらも20万円前後。どうするか。新卒で再起不能までに叩きのめされた業態と同じ後者。違う点は、小規模な組織。所謂ベンチャー企業。社員一人ひとりの顔が見える。経営も近い。

 

image

 

面接では、好きなCMとコピーライターを問われた。ここは人材紹介会社である。規模の小さい会社は、闘う市場を選ばなければならない。ランチェスター戦略である。親会社は出版社にして、マスコミ・広告界への影響力が強い母体。我々の専門性も広告業界。ここに惹かれた。

 

image

 

人材派遣と人材紹介は似て非なるもの。入社一年目は、新設された部署に配属されることになる。派遣ユニット。新卒以降の経験を期待されての抜擢だった。とは言え、右も左も分からないド新人。社会人のマナー、口の利き方、スーツの着こなし方など、まるで初歩からの手解き。

 

image

 

職場にはすぐに馴染むことができた。目標に掲げた、試用期間中(3ヶ月)の成約1件も無事に達成した。当時、別のチームに配属された同期入社の女性社員と達成を喜ぶ飲み会をしたっけ。男性社員は分け隔てなく仲良くなった。女性社員は、年上のお姉さまが怖かった記憶。

 

image

 

通勤に片道1時間半を擁していたが、不思議ときつくはなかった。研修や実務で日々の成長を実感できていたから、毎日が楽しかった。同僚やクライアントとの関係性を構築する。上司の信頼を得る。気が付けば二年目に入り、新卒社員が入ってくる。僕にも可愛い後輩ができた。