わくわく海賊団 -6ページ目

わくわく海賊団

Compass of Your WakuWaku

けもなれポスター:新垣結衣、松田龍平

 

『獣になれない私たち』のなかで、

(2018年 日本テレビ 脚本:野木亜紀子)

 新垣結衣さん演じる深海晶が言います。

 

「私たち、

 だれの人生を生きてきたんだろうね…」

 

 彼女は、会社でも恋人の前でも、

 ずっと人の期待に応え続けてきた人です。

 

 頼られ、感謝され、役に立つことに

 よろこびを感じていたはずなのに、

 ふと振り返ったらからっぽで、

 途方に暮れてしまいます。

 

 だれかのために動くことは、

 少しも悪いことじゃないと思います。

 

 むしろそれができる人には、

 役割ができて居場所ができます。

 

 でも、だれかのためだけに動き続けると、

 どんなに感謝されても、そこは

「じぶんの居場所」にはなりません。

 

 与えれば与えるほど、

 じぶんが減っていく気がしてしまう。

 

 ドラマのなかで、

 晶が京谷(彼氏)の母親の気持ちをくんで、

 家族に想いを伝えたシーンがありました。

 

 それはだれかの期待に応えたわけじゃなく、

 晶自身がしたいからした行動でした。

 

 その結果、みんながよろこんで、

 晶自身も救われました。

 

 あの瞬間、彼女は、

 じぶんの人生を生きていたんだと思います。

 

 人間が退屈に悩まされないためには、

 獣になる(なにかに夢中になる)とよいと、

 國分功一郎さんが言っています。

 

 このドラマは、

 他人や社会の目ばかり気にして、

 じぶんの欲に素直になれない人たちの…

 獣になれない私たちの背中を押す

 物語(ドラマ)なんだと思います。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 野木作品は、略称が多いですね。

『獣になれない私たち』は『けもなれ』です。

南国に実る、赤と緑の果実

 

 良薬は口に苦し、ということばがあります。

 

 このことばは、孔子が、

「ためになる忠告は聞き入れにくい」

 ということを、

「よく効く薬は口に苦いものだ」

 と喩えたものらしいです。

 

 たしかに、耳に痛い忠告ってあります。

 言われた瞬間はつらいけれど、あとになって

「あのとき言ってもらってよかった」と

 感謝できることはよくあります。

 

 そういう忠告が、

 じぶんを成長させてくれることはある。

 

 でも「苦い=いい」と盲信するのは、

 とても危ないような気がするんですよね。

 

 苦しいだけで意味のない経験もあるし、

 ただの我慢大会になってしまうこともある。

 

 なかには、

「苦労することに意味がある」と言って、

 他人をこき使うだけの大人や、

 成長させる気のないマネージャーも

 悲しいけれどいますからね。

 

 そんな苦労は、毒になるだけです。

 

 もちろん、成長のために

 あえて苦しい道を選ぶこともあります。

 

 上のレベルに行きたいなら、あえて挑戦して

 つらさと向き合う瞬間も必要だと思います。

 

 そういう苦しさは、

 意外とたのしいものです。

 

 じぶんがこころから成長を望み、

 うまくなりたいと本気で願ったときの苦悩は

 なんだか熱を帯びたような感じで、

 わくわくするんですよね。

 

 ほんとうに効く薬は、

 飲みやすいこともあるし、苦くても、

「よし、飲んでやる」と思えます。

 

 苦しいものが正しいと盲信せず、

 その苦しみがじぶんのなりたい未来へ

 ちゃんとつながるかどうかということを

 見きわめることが大事だと思います。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 あきらめないとは、

 最後まで苦しみに耐えることじゃなく、

 最後まで考えることをやめないこと。

シーサー注意標識と青い空

 

 失言、と呼ばれる発言があります。

 思わず、うっかり、どういう理由なのか、

 つい口にしてしまった不用意な発言。

 不用意どころか、不謹慎な発言。

 

 報道レベルでは、

 年老いた政治家の口から出るものと

 相場は決まっているけれど、

 一般人にも失言はありますし、

 年齢も性差もありません。

 

 だれだって、言ってしまう可能性がある。

 

 なぜ、失言してしまうんでしょうか。

 

 まず考えられるのは、無知です。

 人は、どんな考えを持つのも自由です。

 でも「言ってはいけないこと」は、ある。

 だれかを傷つけたり、差別を広げたり、

 犯罪をあおったり、そういうことは、

 言ってはいけないことです。

 

「言ってはいけないこと」の境界線は、

 時代とともに変わります。

 

 むかしの感覚のまま生きていると、

 いまの時代ではアウトになることもある。

 

 知らないから、言ってしまう。

 これも失言の理由のひとつだと思います。

 

 でも、もうひとつある気がしていて、

 それが「あせり」なんじゃないかなと。

 

 たとえば人前でスピーチするとき。

 話すのが得意じゃないという自覚があって、

 しかも、聴衆は沈黙してつまらなそう。

 

 パニックになってあせったとき、

 ついその場を盛り上げようとして、

 軽い冗談を言ってしまいます。

 

 でもそれが、思わぬ失言になってしまう。

 

 飲み会のあの人を思い浮かべても、

 似たような場面はたくさんありますよね。

 

 大切なのは、順番なのかもしれない。

 

 まず、じぶんへの自信。

 自信があると落ち着きが生まれます。

 落ち着きがあると、ユーモアが生まれる。

 日常のなかで、ギャグとユーモアって、

 紙一重なんじゃないかと思うんです。

 

 これはセンスや才能の問題じゃない。

 

 ギャグは不安を隠すための逃げで、

 ユーモアは落ち着いた人が差し出す

 サービスのようなものに思えます。

 

 だから、まずは落ち着くこと。

 落ち着いたあとに出てくることばこそ、

 だれかを笑顔にするユーモアになる。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 落ち着きから生まれる笑いって、素敵。