愚痴は言ったほうがいいよ、
なんて言われることもあるけれど、
できれば言わないでいたいというのが、
正直なところではあります。
聞かされるほうも、
うれしい気持ちにはならないし。
愚痴っていうのは、たぶん
共感されると思って言うのでしょうね。
「昨日飲み過ぎちゃってさ」という愚痴は、
「大丈夫?大変だったね」という共感の声を
期待しているんじゃないでしょうか。
昭和の歌謡曲や演歌にも、
そういう節があるように思います。
「わたしバカよね、おバカさんよね」は、
聴いた人に共感してもらいたくて、
あれ、歌っていますよね。
「わたしバカよね」と歌ったら、
「じぶんを卑下するのはおやめさない」だの、
「愚痴を言うな!」とか批判されたら、
歌えないですものね。
歌い手と聴き手に、信頼というのかな…
体温ある人間同士の関係を感じさせます。
SNSの発言の弱みって、
たぶんそのあたりなんじゃないかな。
「論」をぶつけ合ってしまっている。
人は「論」だけを
語っているわけじゃありませんよね。
正しくないと知っているけれど、
言うことだってあるし、
でまかせだってしゃべるし、
泣き言も、嘘も、品のないことも、
ケチくさいことも、勝手なことも、
さんざん言ったりしますよね。
それがすべて「論」として扱われると、
息苦しくてたまりません。
生きものとして、苦しくなります。
くだらないことを、
もっと堂々と言いたい、という欲求が、
世の中にくすぶっている気がする。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
くだらないことを言いたい聞きたいなら、
有料チャンネルで。という流れは、
なんだかとてもさみしいです。
