「アートを学ぼう」ということばへの違和感 | わくわく海賊団

わくわく海賊団

Compass of Your WakuWaku

 

「アートを学ぼう」という声を、

 よく耳にするようになりました。

 

 でも、そのことばに

 なんだか違和感がずっとありました。

 

 アートを、学ぶ。

 それは芸術そのものへの興味というより、

「なにかの役に立てよう」とか、

「じぶんのために活かそう」という

 魂胆が透けて見えるからかもしれません。

 

 そもそも芸術というのは、

 役に立つかどうかなんてことは、

 まったく関係ないものです。

 

 何百年も、もしかしたら何千年もかけて、

 ただそこにあり続けるもの。

 

 それにふれるとき、大切なのは、

「これがいいらしい」とか、

「価値が高いらしい」という話ではなく、

「じぶんがどう感じたか」という

 たったひとつの問いだけです。

 

 まわりの評価を借りずに、

 じぶんの感性で向き合うこと。

 

 それは、とても静かで孤独な作業です。

 

 けれど、そのなかで育まれる感覚こそが、

 ほんとの意味での教養なのかもしれません。

 

 知識を積み重ねることや、

 むずかしいことばを覚えるだけでは、

 真の教養とは呼べない気がする。

 

 ものごとを深く味わい、感じとり、

 そこからじぶんなりの考えを紡いでいく。

 そんな静かな営みのなかで、

 じんわり育っていくもの……

 それが真の教養なんじゃないかな。

 

 だれかが決めた正解ではなく、

 じぶんだけの「これだ」と信じられるものを

 ゆっくり時間をかけて育んでいく。

 

 それが変化の激しい時代を生きるうえで、

 大切なことのひとつかもしれません。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 孤独を知らなければ、

 真の教養には出会えない。