スタジアムに行くと、
試合前から拍手と歓声が聞こえてきます。
選手が走ったり、ストレッチしたり、
ただ、からだをあたためているだけの時間、
なにか特別なプレーをしたわけじゃない。
それでも「おぉぉー!」という声や
歓声がたくさん起こります。
もうアップの段階から、
「応援」が始まっているんですよね。
もちろん、ホームスタジアムであれば、
アドバンテージを存分に発揮するために
雰囲気をつくるという意味もあるでしょう。
でも、それだけじゃない"なにか"を
試合前の応援に感じました。
試合の結果とは関係なく、
そこに立っていることそのものを
よろこんでいるような拍手。
結果を出すことよりも先に、
まず「いてくれること」がうれしい。
その選手がその選手らしくあることが、
もうすでに力になっている、
そういう感じです。
なにかができたからじゃなく、
なにをがんばっているからでもなく、
ただその選手がそこにいるだけで
うれしいと思える気持ち。
ほんとうの応援は、
そんなふうに始まるのかもしれません。
だれもがスーパースターじゃない。
出場機会の少ない選手もいますし、
試合に出られない日もあるでしょう。
だけど、ベンチで声を出したり、
ハーフタイムに仲間を励ましたり、
ピッチの外にも戦いはあります。
選手が「うまい」とか
「すごい」からする応援もあるけれど、
スタジアムに足繁く通う人たちの応援は、
それとは別の"なにか"を感じます。
その選手が、
その選手らしくあろうとすること。
うまくいかない日も、迷っている日も、
逃げずに向き合っていること。
その姿をまるごと信じて、
「見ているよ」と伝えること。
「今日はダメだったね」とか、
「もっとこうすればいいのに…」とか、
言おうと思えばいくらでも言えるけど、
そういう言葉は、すでにたくさん
まわりから届いているはずです。
それに、ほとんどの人が
じぶんでちゃんと気づいています。
だから、近くにいる人は、
ただ「見ているよ」と伝えるだけでいい。
その人「そのまま」を信じること。
それはだれかを変えようとするのではなく、
その人がその人の道を歩くことを
見届ける気持ちに近い。
応援というのは、
ゴールを決める姿だけを
見たいわけじゃないんですね。
そこに向かう背中ごと
ずっと見ていたいんだと思います。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
近くにいる人の最高の応援は、
信じて見届けることかもしれない。