スマホを片手に
電車に揺られているとき、
「なにか新しいことないかな…」と
ついSNSを開いてしまいます。
それは、"退屈"を埋めるためのようで、
じつは"意味のあること"を探している…
…そんな気もします。
これまでは、どちらかというと、
「どうたのしませてくれるか」が大事でした。
遊園地に行くとか、映画を観るとか、
時間を消費することに意味がありました。
でも、最近は少しちがってきています。
「じぶんから動いて、なにを感じられるか?」
そっちのほうが大事になってきている。
たとえば、ひとつの花の写真を撮るとき、
どこから撮ったらきれいかを考えたり、
光の加減を見たりします。
それは「見る」だけじゃなく、
「感じて、選ぶ」という能動的な行為です。
つまり、じぶんの意思で世界に触れること。
そういう動きが、いまの時代の流れに
ぴったり合っている気がします。
「なんのために?」がはっきりしなくても、
「おもしろそう」や「きれいだな」っていう
小さな動機で、まず動いてみる。
そんなふうにして、
じぶんの感覚が育っていきます。
豊かさって、
モノやお金だけじゃなくなってきています。
その"時間"が、
じぶんの"意味"になっていくかどうか。
それが、これからのしあわせのカタチに
つながっていくような気がしています。
今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。
いつだって意味は、
だれかがくれるんじゃなくて、
じぶんの足で見つけるもの。