激動の時代という、中年ことば。 | わくわく海賊団

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 じぶんの頭で考えていない、

 思考停止状態で特になにも考えないままに

 使ってしまっていることばがあります。

 

 たとえば、がんばる。覚悟を決める。

「必死でがんばります」「覚悟を決めました」

 

 こういうことばは、

 精神的興奮で課題克服を図ろうとする

 勢いだけの感嘆符のことが多い気がします。

 

 ほんとうに課題を克服したいなら、

 いまの現状や課題の解像度を高めて、

 もっと具体性のあることばを使ったほうが

 がんばりや覚悟は伝わると思います。

 

「がんばります」「覚悟を決めます」

 そういうことばに逃げこんでしまって、

 じぶんをいくら追いこんだところで、

 たいしたものは生まれない気がする。

 

 じぶんの頭で考えていない、

 思考停止状態のことばを日々のなかで

 つい、使ってしまいそうになったら、

 立ち止まって考えたいと思います。

 

 ここ最近でいうと、

「変化の激しい時代」ということばも

 定型文のように多用してしまっています。

 

 たしかに、いまの時代は、

 激動の時代だと思っています。

 

 でも、歴史をふりかえってみると、

 変化の激しい時代はたくさんあります。

 いや、どの時代も結構激動です。

 

 戦前と戦後とか、ぜんぜんちがいますし。

 

 じつは時代の変化というのは、

 さまざまな経験を通して(じぶんなりの)

 常識を育んできた大人だけが

 感じるものなのかもしれません。

 

 常識が凝り固まり、

 ちがう価値観や生活様式をみると

 変化を感じるんじゃないかな。

 

 だから、子どもはそんなこと言いません。

 

「変化の激しい時代」ということばは、

 じつは中年ことばだったのかもしれない。

 よく考えて使おうと思います。

 

 今日も「わくわく海賊団」に来てくださってありがとうございます。

 

 孔子のいう不惑というのは、

 激動を前提として動じないことかな。