人間のようなロボットと、ロボットのような人間と「人間とは、なにか?」 | わくわく海賊団

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 人間とは、なにか?

 

 人間の再定義は、きっとこれから

 いろいろなところで、

 盛んにされるようになるんだろうと

 思っています。

 

 技術の進歩で、

 すべての物はインターネットに

 繋がるようになり、

(loT=Internet of Things)

 まるで、生きているかのように

 知性を持つようになると思います。

 

 物が知性を持ち、

 話をするようになる。

 間違いなく、限りなく

 人間の「ように」なるでしょう。

 

 それは、人間なんでしょうかね。

 

 一方で、技術の進歩は、

 人間の身体にも及ぶと思います。

 義手、義足は、もっと

 本物のようになるだろうし、

 臓器も含めて技術の進歩により

 つくることができるようになる、

 と、いわれています。

 

 そして、この2つの進歩は、

 近い将来、必ず交わります。

 

 適切な表現かどうか

 自信がありませんけれど、

「人間のような物」と、

「物のような人間」と、

 これからは、なにをもって

 人間と呼ぶのか、

 今までよりも厳密に

 問われることになりそうです。

 

「人間のような物」が

 普及することで、

「物のように扱われていた人間」に

 影響を与えることもあるでしょう。

 

「うちの社長は、オレたちのことを

 ロボットのように扱いやがる。

 日曜出勤に残業はあたりまえ。

 給料だって雀の涙ほどなんだから、

 もうほんとやってられないよ。」

 

 そこに「人間のような物」

 つまり本物のロボットが導入され、

 仕事が全自動化された場合には、

 その人たちは、職を失うことに

 なってしまいます。

 

 技術の進歩は、そこで働く人の

 存在理由を奪う可能性があります。

 それによって、じぶんの存在価値を

 見失う人もいるかもしれない。

 

 この問題も、

「はたらくとは、なにか?」という

 労働に対する再定義というよりも、

 もっと核心部分の

「人間とは、なにか?」に、

 行き着くような気がします。

 

 技術の進歩は、

「やっぱりやめた」ができません。

 

 LINEの便利さを

 知ってしまった今、

「やっぱり手紙に戻ろう」が

 できないように、技術の進歩も

「やっぱりやめよう」は

 できないんだと思います。

 

 歴史をみてみると、

 誰がどんなに反対しても

 確実に前に進んでいきます。

 

 裸足で生活していた人間が

「靴」を得たとき、

 移動距離は驚くほど広がり、

 選択肢は一気に増えました。

 

「字」を開発したことで、

 知恵は、地域を越えて、世代を越えて

 共有することができるようになり、

 生存率は飛躍的に上がりました。

 

 いろいろな不安が

 いわれているけれど、

 ぼくはやっぱり、

 技術の進歩がもたらす未来は

 わくわくするものだと

 思うようにしています。

 

 今日も、「わくわく海賊団」にきてくださってありがとうございます。

 

 文章が長くなってしまったときは、

 熱が入りすぎたか、もしくは、

 考えがまとまっていないときです。

 すいませーん。

 そして、今日は、おそらく

 熱が入りすぎた方だと思われます。

 

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