芸術家や科学者、経営者や政治家など、歴史に名を残すような偉人には、
必ずと言っていいほど、「まねる。」にまつわるエピソードがあります。
例えば、アメリカの経営者として有名なウォルマート社の創業者サム・ウォルトンは、
「自分がやったことの大半は、他人の模倣だ。」と言うとおり、
自分の店にいるよりも、ライバル店に行って、観察している時間が長かったといいます。
坂本龍馬もそうです。
薩長同盟を成し遂げたのは龍馬ですが、
薩長同盟はもともと龍馬の独創ではなく、
すでに多くの先人や同志が考え、唱えていたことでした。
しかし、
彼らが動いても、なかなかうまくいかず、
しまいにはサジを投げてしまいました。
竜馬は、それを根気よく拾い上げ、
人間関係をつくり、見事に薩長同盟を結実させました。
坂本龍馬に詳しい人は、彼のことを原作者ではなく、脚色者だと言います。
しかし、 この脚色ぶりが見事だったので、
幕末維新の歴史の大きな歯車となったわけです。
アップル共同創業者のスティーブ・ジョブズもそうです。
側近から、「ひとのアイデアを盗む天才だ。」と言われていました。
ジョブズ自身も、
「優れた芸術家はまねし、偉大な芸術家は盗む。僕らは臆することなく、すごいと思ったさまざまなアイデアをいつも盗んできた。」と言っています。
このような例は、古今東西、枚挙に暇がありません。
つまり、成功者は「まねの天才」と言えるんだと思います。
にもかかわらず、
「まねはかっこ悪い。」「まねは恥ずかしい。」「オリジナルじゃないと意味がない。」
というように、
「まね」にはネガティブなイメージを持っている人が多いように思います。
それは、ベクトルが自分に向いているからではないでしょうか?
「まね」にネガティブなイメージを持っている人の理由の多くは、
自分のプライドに原因があります。
しかし、 「何のために、まねるのか。」を考えるとどうでしょうか。
「お客様(ひと)を喜ばせるため。」
人を喜ばせるという目的に照準を合わせたら、
人のまねをすることに恥ずかしさなど感じなくなります。
もちろん、好き勝手盗んでいいというわけではありません。
世の中にはルールがありますから、
例えば同業者がやっていることをまねする場合には、
筋は通さなければいけないこともあるでしょう。
しかし、 早く成長して、早く技術を覚えて、
もっとたくさんのお客様(ひと)を喜ばせたいという想いが、
何よりも大事なのではないかと思うんです。
その想いが、多くの「まねの天才」を、
成功者にしたんだと思います。