化学物質過敏症完治には周囲が大事(長女の場合)その2 | 岩手のランナーけいのブログ(学校・化学物質過敏症の闘いなど)

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中学は酷いものでした。

校地内禁煙にもかかわらず喫煙する教師が何人もいるような学校でした。

 

市教委と学校との話し合いでこうやりますと約束しておきながら約束を守らないことはしょっちゅうで、どんどん悪化していきました。

 

担任の先生は一生懸命やってくれましたが、1年のときの初期対応・そして体調悪化時の不適切対応等でどんどん通常の義務教育が送れなくなりました。

 

校舎の工事が入ることもあり、また転校することになり苦労の連続でしたが、本人も家族も頑張りましたが、まぁ初めてのケースで行政の動きに時間がかかるのは理解しますが、それにしても当時の市教委と学校の対応は悪すぎて・・・

 

その反面、高校入学後は必死で長女のことを理解しようと学校が動き、3年間心温かい対応をしていただきました。

 

奥州市は進学した県立高校の教室に空気清浄機を設置。

(ここでは端折りますが、この設置も私たち家族の努力によるものと思ってます)

高校では席が換気が良いところで、様々な場面でバックアップしてくれたことによって、3年間全員と同じ教室で高校生活を送れました。

高校は様々な場面で事前連絡をくれて(工事に入ることやその際使用する物資や成分の連絡等々)、話し合いで決めた以上の配慮と対応をしてくれたので、中学時代より体調面も落ち着いてきました。

 

振り返ってみて、最低限高校がやった対応を中学がやっていたら、もっと早く完治したでしょう。

 

中学校と高校の対応の違いで、周囲が完治に向けていかに大切か思い知りました。

 

つづく