化学物質過敏症完治には周囲が大事(長女の場合)その1 | 岩手のランナーけいのブログ(学校・化学物質過敏症の闘いなど)

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12年間という長い歳月かかりましたが、長女もほぼ完治しました。

 

完治には周囲の人や環境・理解がいかに大切かということを思い知りました。

 

詳細はお時間あるとき過去記事を読んでいただきたいですが、発症初期は被害者なのに加害者のような思いをたくさんしました。

誹謗中傷、自宅への嫌がらせ電話等々凄かったです。

 

周囲の理解がないこともですが、奥州市教育委員会も学校も事実と違うことをいくつも発信し、私たちは悪役に仕立て上げられたと今でも思っています。

 

小学校4年生の2月が発症です。

3月5日に専門医の診察を受け、

・シックスクール症候群

・化学物質過敏症

・有機溶媒中毒

と診断され、診断書を提出し、医師からの指示も伝えており、学校も奥州市教育委員会とも約束をいろいろしましたが、たくさん約束を破り、やるといっててやらなければいけないことをやらず、絶対やらないといっていることをやり、当初は私学校も奥州市教育委員会もまさか嘘つくとは思わず信用してたので、長女の悪化の原因が両者の不適切対応と気がつきませんでした。

 

5年生には転校を余儀なくされましたが、転校先では理解し、必死で対応してくれて、いろいろ体調不良が起こる日はありましたが、卒業まで教室にいられる時間が多く、周囲のお陰と思いました。

ちなみに5年生の8月に、当時の市の教育長が、報道と私たちが言っていることは合致するが、奥州市教育委員会の担当者から上がってくることが合致しないので担当者を変えたことでも良い方向に進みました。

 

しかし、中学校に入ってからは・・・

 

つづく