4年間を賭けたもの | 慶應義塾体育会水泳部飛込部門

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こんにちは

 

ブログに登場するのもいよいよ最後となりました

4年 山本 雅久です。

 

 

僕たち4年生は、先日の全日本学生選手権をもって

3年半にわたる飛込競技生活を終えました

 

4年生最初の引退ブログということでどれくらい書けばいいのか、

(去年ななほさんが山に籠って超大作を書いた事もあり、、)

どんなことを書けばいいのか決めあぐねていますが

最後まで読んでいただければ幸いです。

 

 

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入部してからずっと周りの人に言われ続けていることがあります

 

「なんで飛込部門を選んだの?」

 

高校の友人、幼馴染、親戚、家族、ゼミの友達etc...

会う人全てにこの質問を投げかけられます

 

就職活動の時も面接官に聞かれる定番質問でした

 

そしていつも僕はこう答えてました

「学生最後だしスポーツに真剣に打ち込みたい。それで体育会を探してたらたまたま飛込に出会って、その魅力に惹かれた。」

 

 

引退してまだその実感が沸いてないこの頃ですが

この3年半を振り返り、自分は本当に「真剣に向き合えた」のかを考えていました

 

 

 

振り返ってみると本当に試練ばっかの3年半でした

僕の競技人生は決して楽しさだけではなく、常に苦しさ、辛さと隣り合わせでした

 

 

1年生の頃

一緒に入部した同期と毎日、たくさん失敗しながら

先輩たちやOB OGの方々のご指導のおかげで新しい技をどんどん覚え

新しい景色にどんどん出会えた そんな時期でした

 

 

1年生の冬からいきなり試練を迎えます

それは度重なる肩の怪我です

肩がもともと硬いことから、怪我のリスクはつきものだったのですが

不運が重なり、2週間離脱してはまた怪我をし、

また1週間追加と

 

思うように練習ができない日々を過ごしました

 

 

 

2年生の春にはコロナという未知のウイルスがやってきました

体育会全体で活動自粛となり

3ヶ月以上ろくに練習できない時期を過ごしました

せっかく積み重ねてきたものを全て失ってしまったようなそんな時期でした

 

 

少し収まって復帰してからは

初公式戦のために技を揃えなくてはならず、

毎日のハードワークで肩の怪我を繰り返してしまいました

 

 

3年生になると、

今度はぎっくり腰を繰り返し、腰痛おじさんへの道を歩むことになりました

203で背中から平らに落ちて体が痙攣してしまい、プールに沈んだこともありました

(しばらく203がトラウマでした)

 

 

自分たちが最高学年になると

腰の怪我が慢性的になり、常に腰痛を抱えながら練習をしていました

 


極めつけは6月

最後のインカレに出場するために何としても基準点を切らないとと意気込んでいた関西選手権の前週にトランポリンから逆さに落下し、そのまま救急車に

 


腰の筋断裂と診断され、全治3週間、競技復帰まで1ヶ月という事実上の引退宣告をされました

 

 

この3年半の試練に対し、

自分は常に競技と向き合い続けることができたのか。

 

 

特に4年生の6月に大怪我を経験したときは、

正直7月の関東公認までに復帰できるとは思えず、

現役を続けることはもう無理なのではないかと絶望して、泣いたこともありました

 


それでも、必死に取り組む同期や後輩の姿を見て、

OBOGの方からの言葉で希望を持つことができて

 

 

もう一度みんなと一緒に試合に出たいと思うことができました

 


それからは毎日整体に通って治療し、

練習ではコーチングと基礎練習

家では練習前と風呂上がりにこれでもかとストレッチをしました

 

練習以外の時間では飽きるほど飛込の動画を見て、

関東公認に出るために直前に痛み止めを注射し、

前日練や当日も痛み止めを服用し、

試合で6本飛んだ後には腰が曲がらなくなるくらいでした

 

 


競技を続けるためにはここまでしなきゃいけないのかと

毎日思いながら過ごしました

 

 


運良くインカレに出ることが決まってからも

一向に良くならない腰とうまく付き合いながら練習せざるを得ませんでした

 

 

 


4年生になってからの僕は非常にカッコ悪い先輩だったと思います

 

しかし、どんなにカッコ悪くても、

みんなと最後まで部活をやり切りたいという一心でした

 

ボロボロの体でも、続けることが4年生としての意地でもありました

 

 

インカレで決勝を含めて12本

最後腰に感覚が残らないくらい疲弊していましたが

 

最後まで飛びきって生まれた感情は

曇りのない達成感でした






 

 

今までの人生で、スポーツをやってきた中で

ここまで正直にやりきったと感じられる瞬間はありませんでした

 

 

結果こそ振るわなかったものの、

現役を続けるために最大限努力してきた結果

みんなとインカレに出て最後まで飛び続けることができて

引退することができたのでこれ以上嬉しいことはありません

 


何度も試練を課されながらも、

4年生として納得する形で引退することができました

 

 


入部当初描いていた競技人生とかけ離れてしまいましたが、

当初からの目標である

「真剣に競技に向き合うこと」はできたのではないかと感じております。

 

 

ただ自分一人では到底向き合い続けることはできませんでした


 

週6日朝早く出たり夜遅く帰ってくる自分勝手な僕をそばで支えてくれた両親

自分たちの成長のためにひたむきに努力し、常に鼓舞しあえた同期

いつも気にかけてサポートしてくださった先輩方

コーチとして指導してくださり自分に希望を与えてくれたOBOGの方々

下からものすごい勢いで迫ってくる元気ある後輩たち

外部団体の方や他大学の友達、先輩方からもたくさん励ましてもらい、

貴重なアドバイスをいただきました

 

 

飛込は試合こそ一人で戦う個人スポーツですが、

そこに至るまでの過程において

多くの人々に支えられています

 


自分一人の力では決して4年間の部活動を完結することはできません

 

 

いつもそばで支え続けてくれた家族、同期、先輩、後輩、OBOGの方々、

一緒に練習した他大学の仲間たち、コーチの方々

本当にありがとうございました

 

 

今度は僕が後輩たちを支えていく立場として

部活に貢献していきたいと思っています

 

神田、しゅうご、いつき、たく

これからも頑張れ!

 

 


最後になりますが、

僕が大学4年間を賭けたもの

それは誰もが不思議がるような飛込競技という世界でした

たった2秒間の儚い美しさ

この2秒のために僕たちは4年間を費やしました

 


練習ではチームみんなで互いを鼓舞し合いながら楽しく練習しています。

試合ではその日頃の成果を点数という目に見える結果で表してくれます。

飛込をやってる人にしか知らない景色があり、

爽快感があり、高揚感があります。


本当に毎日が最高の日々でした。



しかし、


周りの友達は遊ぶ時間がいっぱいあっても

自分たちはオフが週1日しかありません

(覚悟の上で入部しているわけですが)

楽しそうなことに流されそうになる自分と戦わないといけません

 


怪我で苦しい季節も、コロナで練習できない時も

練習できない時はいつもネガティブな自分と戦わないといけません

 


新しい技は怖いし失敗したら痛いです

新しい技はやらなくていいやという甘えにも戦わないといけません

 


2秒間の儚い美を追求する日々は決して楽しいことだけではないです


それでも前を見て、ストイックに向き合い続ける

そのために自分の弱さに打ち勝つ必要があります。



自分において、4年間を賭けたものは

飛込を通じて

「自分の弱さと戦うこと」だったと思います

 




4年間、自分の弱さと戦い続けたことで

少しだけ強くなったと感じています。

 


4年間、飛込競技にストイックに打ち込んだ経験は

大きな財産となりました。



半年後に大学を卒業して、社会人になりますが、

飛込部門での経験を活かし、頑張ります



今までお世話になりました。

 

飛込部門 4年 副将

山本 雅久