可哀想と思うこと | タマラ アクティベーター キョンの 『私を生きる!』

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「タマラ」はあらゆる陽の素。
2002年にタマラを取り込める体となってから、目の前が色濃く、自分の輪郭がくっきりと変化してきました。
タマラは体を、そして何より心を元気にします!
誰でも望めば、アクティベーションを受けることができます。

タマラ アドバンストプラクティショナーのキョンです。

ある場所を通り掛かったときに
ふと、昔の知り合いのことを思い出しました。

その人は、病気になり、
今までの暮らしが出来なくなり、
家族みんなで遠くに引っ越して、、

それを、私は
「可哀想」とずっと思っていました。

 でも、それって
勝手な私の思い込みだと思うんです。
可哀想って感情は、
自分の価値観を映し出してるものだと思う。

私の思う幸せから外れた、
その人は可哀想だと。

先日、「五体不満足」の乙武洋匡さんの講演を聞きました。
ご存知の通り、彼には手足が無くて、
それでも、私は全く可哀想なんて感じなくて、

その違いは何だろうって考えたときに、
私の思い込みや、価値観が見えてきたように思えます。

私は自分のことを可哀想と思ったこともなく、
もしも、人からそう言われたら、
きっと憤慨するに違いない、

バカにすんじゃねぇよ!なんて。

自分が人から可哀想と思われたと知ったら、
見下されたように感じてしまいます。

心の中で思うのは
誰しも自由だと思うけど、
それは、自分を映し出してるんだと
ちゃんとわかっていたいと思います。

私には娘が2人いるんですが、
いくら違う人間なんだと肝に銘じていても

自分の求める幸福と違っていると、
型にはめたくなってしまいます。

そこをなんとか我慢する日々。
親の安心のために、生きてなんかほしくないから、、

とは言え、
いろんな葛藤があります。
知らないことは教えたい、
選択肢をたくさん持ってほしい、とか。