懐かしいだけなのかな | タマラ アクティベーター キョンの 『私を生きる!』

タマラ アクティベーター キョンの 『私を生きる!』

「タマラ」はあらゆる陽の素。
2002年にタマラを取り込める体となってから、目の前が色濃く、自分の輪郭がくっきりと変化してきました。
タマラは体を、そして何より心を元気にします!
誰でも望めば、アクティベーションを受けることができます。

タマラ アドバンストプラクティショナーのキョンです。

私の家の前には小さな川があります。
この季節になると、少ないながら、
蛍たちを見ることができます。

大きな道路がすぐ側にあり、
歩ける距離に、何件ものコンビニや、
24時間営業のスーパーマーケットがあります。

とても便利で、快適な暮らしですが、

年々、蛍が減っているように思え
それが気がかりです。

本当の豊かさって、何なんでしょうね。

友人たちが自然とより近い暮らしを求めて、
移住する話をよく聞くようになりました。
屋久島の自然に触れて、時々考えます。

私の実家はかなり古い建物で、
昔、祖父母が元気だった頃は台所が土間だったと思う。
今はキッチンは、電気を多く使う。
火をたくさん使っていた昔は地面が土である必要があったのだろう。

あの広い台所で、祖母や叔母たちが料理していたのを思い出す。
広かったのは、私が小さかったから記憶の中でのものだろう。

昔が良かった、と一概には言えないけれど、
あの台所で、みんなで作ってくれたご飯は懐かしい。
今のキッチンは、そんなに何人もいたら狭くてぶつかりそうだし、
いろいろ便利で、何人もの手を借りなくても済みそうだ。

何人もで作るから、台所から賑やかな笑い声が絶えなかった。
台所の土間からはお風呂場に続いていて、

子供たちがたくさん集まると
ばあちゃんがみんなをお風呂に入れてくれた。
ばあちゃんの思い出の一つは、
いつもにこにこしながら、体を洗ってくれたこと。

父は8人兄弟だったから、従兄弟従姉は全部で30人弱くらいか、
いつも祖父母に会いに行くと、
いとこの誰かと会えて、本当に楽しみだった。

私の子供の頃と、私の娘たちの子供時代は
全く違っている。
彼女たちは、生まれて以来ずっとマンションの暮らしで、

便利だけど、快適だけど、
私が懐かしむ土間の台所の風景も、
大人数でぎゅうぎゅうなお風呂も知らない。

・・・・・・・蛍を見ていて、

その光の点滅の中に、

子供のころを思い出した。

あの頃の生活

今の生活

そして、娘たちの未来は、どんな生活になるのだろう?

私たちが、選択肢を残してあげられるだろうか。




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