現地校の苦しみと頼もしい友人たち | オーストラリア子連れ冒険記

オーストラリア子連れ冒険記

シングルマザーになり損ねた脳腫瘍を患った日本人ママが、子ども二人を連れてのオーストラリア珍道中冒険譚。

さてさて、色々な問題は山積みで

新学期はスタートしてしまいました。

子供達の問題は、周りの方々の

優しいサポートで何とかなりましたが

私の英語力の問題が、一番の悩みでした。

 

インターナショナルの学生も

受け入れてくれる専門学校とはいえ

主にオーストラリアの地元民の為の

職業訓練学校で、英語力が十分

ある人たちのための現地校です。

私のような、まだニュースも聞き取れない

日本人が行って、卒業出来るのか??

と不安でいっぱいでした。

実は、試験用に小さなレコーダーを

持ち込んで、全ての授業を録音して

ウチに帰って、復習すれば、何とか

次の授業までに、理解してついていける

んではないか?と考えていました。

でも、1日、10時間授業を録音しても

ウチで復習する時間もなければ

充電も足りないのでは??と

録音機頼みは 諦めざるを得ませんでした。

 

相変わらずの、ちびまる子ちゃん

斜線顔で、授業にのぞむ私でした。

初日から、ものすごいスピードで

授業は進んでいきます。

「はい、次の章、順番に読んでいって!」

「はい、ノート全部書いた?

次行きます。はい 次の人読んで!」

という感じ。ここは 職業訓練校なので

大学と違って、期間は少ない上に

社会に出てすぐ働けるよう

実習がメインの徹底ぶりです。

授業は 飛ぶように進んで

あとは実習なので、英語学校出の

私には ついていけない速さでした。

 

専門書をスラスラ読めるほど

上達しておらず、たどたどしくモタモタ

読んでいると、オーストラリア人の

若い生徒たちから「クスクス」と

笑い声が聞こえました。

オーストラリア人の高卒の生徒たちは

箸が転がっても可笑しい年頃で

いつも楽しい事を探してはしゃいでいます。

こんなおばさんがたどたどしく話すのを

普段の生活で経験していないので

普通に面白かったんだと思います。

でも、焦れば焦るほど、たどたどしく

なってしまいました。。。

 

他のアジア人生徒達も、たどたどしいと

思いきや、皆んなペラペラです。

よく聞けば、永住権を持っていない

インターナショナル枠ではありましたが

オーストラリアの高校を出たり

もうワーホリで何年も住んでいるような

英語力のある学生が、永住権を取る為に

来ている生徒がほとんどだったのです。

英語学校1年だけで 入学している

無謀な生徒は 私だけだったようでした。

あとで、オーストラリア人の生徒たちから

「このコース、オーストラリア人でも

ある程度の成績が取れないと入れない

難しいコースだよ」と言われるのですが

入学当時は 全然気づいていませんでした。

確かに たった2年のコースで永住権が

取れるというのは、珍しいのです。

それだけレベルが高いコースだったと

後から気づいたのでありました。

 

先生方は ギリシア系が多く、あとは

アジア系、ヨーロピアン系など 様々で

私たち海外留学生にとても優しかったので

先生からのプレッシャーはほとんど

ありませんでした。ただ自分なりに

他のネイティブの英語力の生徒達

との実力のギャップが怖かったです。

 

板書にすらモタついているおばさんの私に

もう長くオーストラリアに住んでいるという

台湾人の女性と、中国で医師だったと

いう隣に座っていた中国人既婚男性2人

が「私のノート写していいよ」とか

「これはこんな意味だよ」と

助けてくれるようになりました。

 

台湾人女性は、日本の宗教団体の

オーストラリア支部で働いていて

中国人医師2人は、当時中国は医師でも

人民も土地も国の物で、自分で開業する事も

許されず、寝ないで働かされても

お給料も高くない。

英語が堪能なので、夫婦の将来の為に

移住する事に決めて、このコースを

終えたら、永住権を取って、この国で

もう一度、医師になるつもり。

というような事を話してくれました。

永住権がないと、勉強するのも

医療も、とにかくお金がかかります。

でも、永住権を一度取ってしまえば、

国の援助はものすごく篤いのです。

(TAFE の学費も 10分の1)

年齢は28才だそうで、高卒の生徒より

年が近くて話しやすかったのだと

思いますが、オリエンテーションで

ふざけた自己紹介をしたので

顔を覚えていてくれたようでした。

その時の話しを 3人にされて

赤面してしまいました。

でも、そのお陰で、彼らのような

英語ペラペラの超優秀な友人が

私の2年間の苦しい専門学校生活を

支えてくれることになるのでした。。。