35歳、TAFE(テーフ) へ行く♪ | オーストラリア子連れ冒険記

オーストラリア子連れ冒険記

シングルマザーになり損ねた脳腫瘍を患った日本人ママが、子ども二人を連れてのオーストラリア珍道中冒険譚。

「TAFE=(テーフ)」 というのは

”Technical and Further Education”

=オーストラリア政府の公立専門学校

の略称で、日本でいう国がやっている

公立の『職業訓練学校』なのであります。

 

オーストラリアには、日本と違い

大学は 全国に たった42 しかなく、

”私立大学”というものが 3大学だけ。

39の大学が、国立(州立)大学なんです。

(ちなみに 日本は 774大学もあるうち

私立大学  592、国立公立大学 173!!)

オーストラリアの学生は、少ない大学に

世界中から来る優秀な留学生と競争しながら

人気の大学や学部に入るのは

かなり優秀でないと 簡単ではありません。

 

ただ このたくさんある公立専門学校と

これら、たったの39の国立大学は

政府のしっかりとした教育機関なので

お互い繋がりが深く、取得した単位は

どちらにも移行させることが出来ます。

オーストラリアの高卒の学生さんで

希望した大学に、入れなかったとしても

TAFEで数年学んで単位を取ってから

希望の大学に転入する人がいる程

しっかりとした教育機関なのです。

オーストラリアという国、実にチャッカリ

しておりまして、海外からの留学生は

この専門学校ですら、1年間の学費は

最低でも、1万AUドル(約75万円)

でもオーストラリア人なら、

1年たったの$1000前後(約5−10万円)と

約10分の1程のお値段で通えるのです。

(現在「Free TAFE」というキャンペーン

で、オーストラリアに足りない人材の

コースは、オーストラリア人は

無料で通えるみたいです。)

 

例えば、おじさんおばさんになって

昔、大学を出て就いた職業が嫌になり

新しい職業に変わりたければ

40でも50でも、TAFEに10万ほど出して

半年〜1、2年通い直すだけで、

また違う新しい仕事に就いて

人生をやり直すという選択肢も

普通によくある事なんです。

その場合、昔取った単位が認定されれば

その単位はもう取らなくてもいいので

通学期間をもっと短縮する事も可能です。

そんな素敵な可能性があるので

TAFEには 普通のおじさんおばさん、

年取ったご老人までもが 当たり前に

颯爽と嬉々として通われているので、

「人生何歳になっても、やり直しがきく♪」

という気楽な雰囲気が

オーストラリアには漂っているのです。

だから、日本や韓国のように

「大学で一生が決まってしまう。。。」

という悲壮感は持たなくて大丈夫なんです。

何歳になっても、「あれ勉強してみたいな」

と思えば、馬鹿にされたり一笑に付される

事もなく、真面目に応援し、サポートして

くれる人が そこら中にいるんです。

実際に、英語学校の先生の眼科医だった

旦那様が、45歳頃に突然

「眼科医の仕事はもういい。

会計士になってみたい」と

会計士のコースに通い直して

今はハッピーに会計士を楽しんでおられる

そうなのです。それもこれも留学生から

10人分の学費を取って、オーストラリア人の

学費を安く出来ているからなんですよね。

こんなやり直しのきく気楽な社会だったら

日本も窮屈でなくなるんですがね〜。。。

 

さて35歳の私、その頃まだ渡豪して1年。

日本の感覚で、専門学校の周りは

きっと若い生徒ばかりで

孤独で苦しい2年間になるだろうと

覚悟を決めていました。

学校が始まる1、2週間前に全員を集め

「オリエンテーション(説明会)」が

1月末に朝から開かれることになりました。

ドキドキしながら、少しだけ

若い格好を意識して参加しました。

周りはほとんどが高校卒業したばかりの

若者ばかりかと思っていたら

海外から来ている生徒は、自国の

大学を出た社会人が多く、なぜか

韓国人の若い社会人が多かったです。

 

そこで、先生の挨拶や説明の後、

「一人一人簡単に自己紹介してね」と

1人ずつ立たされました。

みんな真面目に、淡々と名前と国だけ

言って座っていきます。

2年間 一緒に学ぶ仲間なので 私は

全員の名前を覚えようと、聞こえた名前を

ノートに書き取っていましたが、

世界中の名前はなかなか難しく

書くだけで精一杯。。。

そこで、お節介なおばちゃんの私は

みんなの真面目な流れを変えようと

「日本から来た Keilun です♪

ケイティペリーの”ケイティ❤️”

みたいな感じで覚えて下さい!」

と言ってみました。すると。。。

もちろん、全然 ケイティペリーに似てない

生粋のアジア人顔の日本人おばさんの私。

...あまりに、意外だったのか??

講堂中に笑いが起こって、そこから

みんなの緊張が溶けたようで、一気に

楽しい自己紹介になって行きました。

 

このふざけた自己紹介のお陰で

そこにいた殆どの先生と生徒さん達が

私の「ケイティ」というあだ名を

覚えていてくれて、入学と同時に

おばさんの私にも、思いの外たくさんの

素晴らしい世界中のお友達が

またまた増えていく事になるのでした。