『山田方谷物語』観ていました。 | ケイジのB

ケイジのB

50歳を過ぎて、役者目指してただいま奮闘中です。

 下北沢の小劇場B1で上演されている「山田方谷物語」観てきました。

 このお芝居を見るまでは、山田方谷と言う人の事は知りませんでしたが、このお芝居を観て、大河ドラマになっていない人でも、凄い人、偉い人は、沢山いたんだなぁ、と思いました。
ちょっと渋沢栄一に似ているところもあって、裏金の事ばかり考えるのでなく、財政破綻寸前、借金数百億円の松山藩を立て直したこう言う人が、今の時代にも出てきた欲しいと思いました。
『概要と物語』
 山田方谷は江戸時代末期、備中松山藩の郷士の偉人です。文化2(1805)年に生まれました。彼は有終館館長(教授)に任命されます。
1849年藩主勝静から藩の元締を命ぜられ、藩の財政改革に着手します。
 方谷は思い切った財政改革を行います。既存の藩札、偽札を集め、全て焼き捨てます。
新たな藩札で貨幣の信用回復を図り、砂鉄の採取等郷土の産業を活性化させ藩の借金を全て返済します。
 幕末の動乱期、方谷は郷土松山の藩民を守る任務に就きます。戊辰戦争で朝敵とみなされた松山藩は、方谷の指導で岡山藩に恭順し占領されます。その後、方谷等の働きで明治政府から勝静も許されました。
 人民を困窮から救い出し、明治維新の大乱の中戦を避けて血を流させず、藩主の命さえ救い、自分は生涯学問を講じ続けた方谷の生き方は、岡山県高梁市周辺備中松山の地で今も偉人として語り継がれています。
 その一生を阿部照義・脚本で描き出します。