京都府の国宝・重要文化財建造物 (5)丹波・丹後編 | 国宝・重要文化財指定の建造物

国宝・重要文化財指定の建造物

全国の国宝・重要文化財に指定された建造物についてのブログです。

このブログについて:

京都府丹波丹後地域で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

福知山市
島田神社本殿
舞鶴市
行永家住宅主屋、道具蔵、新蔵
舞鶴旧鎮守府倉庫施設舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫、舞鶴海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫、舞鶴海軍兵器廠雑器庫並預兵器庫、舞鶴海軍需品庫需品庫(3)、舞鶴海軍需品庫需品庫(2)、舞鶴海軍需品庫需品庫(1)、舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫
舞鶴旧鎮守府水道施設岸谷川上流支流砂防堰堤、旧岸谷川上流本流取水堰堤、旧岸谷川上流支流取水堰堤、旧接合井、岸谷川下流取水堰堤、旧第一配水池、旧第二配水池、与保呂川支流砂防堰堤、桂取水堰堤、桂量水堰堤
金剛院塔婆(三重塔)
綾部市
石田神社境内社恵比須神社本殿
光明寺二王門
旧岡花家住宅
齋神社本殿
宮津市
旧三上家住宅主屋、道具蔵、庭座敷、什器蔵、新座敷、酒造蔵、釜場、表門
智恩寺多宝塔
宮津洗者聖若翰天主堂
亀岡市
梅田神社本殿
遠山家住宅主屋、米蔵、借物蔵、長屋門
金輪寺五重塔
寶林寺九重塔
出雲大神宮本殿
愛宕神社本殿
延福寺十三重塔
京丹後市
本願寺本堂
縁城寺宝篋印塔
経ケ岬灯台灯台、旧第一物置
南丹市
春日神社本殿
普濟寺仏殿
九品寺大門
大山祗神社本殿
小林家住宅主屋、小屋、土蔵
石田家住宅
船井郡京丹波町
大福光寺本堂
大福光寺多宝塔
渡邊家住宅
観音堂
九手神社本殿
与謝郡与謝野町
旧尾藤家住宅主屋、奥座敷、内蔵、新座敷、雑蔵、新蔵、奥蔵、米蔵

 

 

旧日本海軍の赤レンガ倉庫

舞鶴旧鎮守府倉庫施設


まいづるきゅうちんじゅふそうこしせつ
舞鶴市北吸、浜
舞鶴旧鎮守府倉庫施設舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫35.476057, 135.387466
明治
鉄骨煉瓦造、建築面積四二四・三六平方メートル、二階建、鉄板葺(内装を除く)
舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫35.474596, 135.385393
明治
煉瓦造、建築面積七五六・○五平方メートル、二階建、鉄板葺(内装を除く)
舞鶴海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫35.474703, 135.385183
明治
煉瓦造、建築面積七五六・○五平方メートル、二階建、桟瓦葺(内装を除く)
舞鶴海軍兵器廠雑器庫並預兵器庫35.474779, 135.384942
明治
煉瓦造、建築面積七五六・○五平方メートル、二階建、スレート葺
舞鶴海軍需品庫需品庫(1)35.475444, 135.382954
明治
三棟よりなる 各煉瓦造、建築面積五五○・四八平方メートル、二階建、桟瓦葺
舞鶴海軍需品庫需品庫(2)35.475151, 135.383269
明治
三棟よりなる 各煉瓦造、建築面積五五○・四八平方メートル、二階建、桟瓦葺
舞鶴海軍需品庫需品庫(3)35.474835, 135.383676
明治
三棟よりなる 各煉瓦造、建築面積五五○・四八平方メートル、二階建、桟瓦葺

舞鶴旧鎮守府倉庫施設は東舞鶴の海上自衛隊の港湾施設に隣接しています。この場所はかつての海軍舞鶴鎮守府の軍需部本部地区に当たります。舞鶴旧鎮守府倉庫施設は、海軍舞鶴鎮守府開庁時に整備された倉庫施設で、このうち魚形水雷庫、予備艦兵器庫、弾丸庫並小銃庫、雑器庫並預兵器庫は舞鶴海軍兵器廠の武器倉庫として、需品庫三棟は舞鶴海軍需品庫(鎮守府の組織名)の需品倉庫として、明治34年から36年にかけて建設されました。
旧舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫(手前)、弾丸庫並小銃庫(中央)、雑器庫並預兵器庫(奥):
・文庫山の東側に並列して建つ同規模同構造の倉庫
・桁行72.3メートル梁間10.5メートル、切妻造桟瓦葺の煉瓦造二階建
・四方に出入口を設け、両妻側端部を軍港引込線の線路が南北に通り抜けていた
・壁面のレンガはイギリス積み



舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫:

平側西面

平側東面



舞鶴海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫:

妻側南面

妻側北面

平側東面

イギリス積みの壁面



舞鶴海軍兵器廠雑器庫並預兵器庫:

妻側南面

妻側北面



軍需部第三水雷庫(附指定):

・三棟の武器倉庫の南側に建つ
・煉瓦造二階建で大正8年に増設されたもの



舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫:

・上段写真が西面、下段が東面
・桁行37.8メートル、梁間11.2メートル、切妻造鉄板葺の鉄骨煉瓦造二階建で、現存最古級の鉄骨造建築

・壁面はフランス積み



舞鶴海軍需品庫需品庫:

・三棟の需品倉庫は、文庫山の南側山際に直列して建つ
・三棟とも同規模同構造で、桁行39.4メートル、梁間14.0メートル
・切妻造桟瓦葺の煉瓦造二階建で、壁面はイギリス積
・平側南面に二箇所の出入口、東西両妻面に貨車出入口を開け、線路の上方に物揚口を設ける

舞鶴海軍需品庫需品庫(1)

舞鶴海軍需品庫需品庫(2)

舞鶴海軍需品庫需品庫(3)


朝霧に包まれた舞鶴旧鎮守府倉庫施設

アクセス
JR舞鶴線東舞鶴駅下車、北西1.5㎞です。駅の近くから、心地よい遊歩道が整備されています。
見学ガイド
各棟とも外観は常時見ることができます。魚形水雷庫、予備艦兵器庫、弾丸庫並小銃庫は博物館や物販施設として利用されており、内部も見ることができます。

感想メモ
各々厳めしい名前のレンガ建築ですが、今では家族連れでにぎわう場所になっていて、建物も優しい表情を見せています。
(2018年8月訪問)
出張で前泊、早朝に訪問することができました。朝霧が立ち込めていて神秘的でした。
(2023年4月訪問)

参考
国指定文化財等DB

 

 

三間社流造の身舎のみが残された本殿

石田神社境内社恵比須神社本殿


いしだじんじゃけいだいしゃえびすじんじゃほんでん
綾部市安国寺町宮ノ腰
石田神社境内社恵比須神社本殿35.340150, 135.311350
鎌倉後期
桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、銅板葺

石田神社は綾部の市街地の東北、山間の集落にある安国寺の近くに鎮座します。安国寺は足利尊氏出生の地と伝えられる古刹で、石田神社はその鎮守です。境内社恵比須神社本殿は延慶4年(1311)に石田神社の本殿として建立されたもので、棟札によって建立年代や大工名が明かな数少い鎌倉時代後期の神社本殿の遺構です。
・桁行三間、梁間二間、切妻造で、三間社流造の庇部分が失われたもの
・木割が非常に大きい

・妻飾は禅宗様の虹梁大瓶束で、神社建築にこのような様式が取り入れられたものとしては早い例

・蟇股は左右対称の鎌倉様式

アクセス
JR舞鶴線梅迫駅下車、南1.2㎞です。バス便もあります。
見学ガイド
石田神社は、常時自由に参拝することができます。境内社恵比須神社本殿も近くから見ることができます。

感想メモ
雪の降る地域の神社の境内社ということで、多分覆屋の中かと思っていましたが、そんな心配が全くいらない堂々とした社殿でした。社殿の規模は大きくありませんが、木割が太く、構造上必要な太さよりもはるかに太い柱は不思議な力を持っているようでした。
(2023年4月訪問)

参考
森の京都DMO公式サイト、現地解説板

 

 

摂丹型民家の代表例

旧岡花家住宅


おかはなけじゅうたく
綾部市本宮町
旧岡花家住宅35.295448, 135.261565
江戸中期
桁行12.1m、梁間9.3m、入母屋造、妻入、茅葺

旧岡花家住宅は綾部の市街地の南東部、由良川左岸の宗教法人大本本部構内に移築されています。もとは京丹波町西部の山間の集落にあったものです。岡花家は、江戸時代は村役層の属していたと考えられており、住宅は江戸中期の建築です。
・入母屋造り茅葺で妻入縦割り床上3室の特徴がある摂丹型の民家
・この形式の民家は、中世末期の在地支配層の身分の建築的表現を受け継ぐものであると考えられている
・岡花家住宅は妻入りの正面を西面させているが、一般的摂丹型の民家では正面を南面させる

・正面向かって左側に広縁を設け、その奥に座敷・部屋を縦方向に並べる
・右側に大戸を開き、その奥は土間とし、土間の手前に厩、奥に炊事場を設ける

・座敷、部屋が並ぶ南面(写真左)は比較的閉鎖的な造り

・土間側の南面には木戸や窓が設けられている

・土間の突き当りの東面(写真右)にも部屋が設けられているが、外面は閉鎖的

広縁の軒裏

アクセス
JR山陰本線綾部駅下車、南東1.4㎞です。バス便もあります。旧岡花家住宅は宗教法人大本本部の構内にあります。
見学ガイド
旧岡花家住宅は大本本部の開門中、庭園から外観を見ることができます。

感想メモ
以前、別の宗教団体の構内にある文化財を見学していた時に少し嫌な思いをしたので、今回も身構えて訪問しましたが心配無用でした。庭園は奇麗に整えられていて、木立の間の祠に神官が祝詞を奉じる神聖な雰囲気でしたが、境内は地域の方々も自由に出入りができるようで堅苦しさはありませんでした。
(2023年4月訪問)

参考
全国重文民家の集い公式サイト、北山型と摂丹型の民家(中山等)

 

 

宮津にある白壁の大規模商家

旧三上家住宅


みかみけじゅうたく
宮津市河原、白柏
旧三上家住宅主屋35.538117, 135.191101
江戸後期
桁行18.0m、梁間11.1m、一部二階、入母屋造、南面・東面及び西面庇付、北面取合の間附属、桟瓦葺及び鉄板葺
新座敷35.538059, 135.191196
江戸後期
桁行8.6m、梁間8.9m、一部二階、南面切妻造、北面主屋に接続、東面及び西面庇付、桟瓦葺
庭座敷35.537984, 135.191188
江戸末期
桁行9.9m、梁間5.9m、切妻造、南面・北面及び西面庇付、東面玄関・南面湯殿及び便所附属、仏間、桁行4.0m、梁間3.0m、両下造、北面主屋に接続、桟瓦葺
表門35.538041, 135.191275
江戸末期
一間薬医門、切妻造、桟瓦葺
酒造蔵35.538087, 135.190919
江戸後期
土蔵造、桁行15.3m、梁間5.5m、二階建、西面切妻造、東面釜場に接続、桟瓦葺
釜場35.538193, 135.191040
江戸後期
土蔵造、桁行11.4m、梁間5.8m、東面切妻造、西面酒造蔵に接続、東面庇付、桟瓦葺
道具蔵35.537952, 135.191091
江戸後期
土蔵造、桁行5.9m、梁間2.9m、二階建、切妻造、北面庇附属、桟瓦葺
什器蔵35.538008, 135.190932
江戸後期
土蔵造、桁行6.0m、梁間4.0m、二階建、切妻造、桟瓦葺

旧三上家住宅は宮津の市街地西部に位置します。三上家は屋号を元結屋といい、江戸時代において宮津城下有数の商家のひとつで、酒造業・船業・問屋等をむ一方で、藩財政や宮津城下の町政に深く関わっていました。安永五年(1776)に現在地に屋敷を構えたことに始まると伝え、天明三年(1783)の晒屋火事により屋敷は焼失しますが、主屋ほかの再建工事は同年中に行われ、その後、座敷・土蔵・玄関・酒造施設を順次増築し、現在に見られる屋敷構に至ったものです。
屋敷北面:
・右端の切妻が釜場、その左が入母屋の主屋と平入切妻の新座敷、その左が表門で門の奥が庭座敷
・防火のため、外に面する柱を漆喰で塗り込めた大壁造としている



主屋:

・入母屋造の妻入で、宮津の町家のほとんどが切妻造平入の建物で構成されるのに比べ、 家格にふさわしい威容を誇る

・屋根には煙出が設けられている

・土間部は上部は吹き抜けとし、小屋組を露出している
・垂木を放射状に打つ届垂木の技法が用いられている



新座敷:

・写真左が新座敷:
・文政3年(1820)に、主屋の東側に増築されたもの
・一階の格子、二階の土格子の意匠を主屋棟と揃え、腰板の高さも合わせるなど、統一が図られている

・新座敷には仏間が設けられている(写真奥は庭座敷)



庭座敷:

・天保8年(1837)に新座敷の東に増築された
・庭園を座視鑑賞できるように建てられている

・ニワザシキ(写真手前)とツギノマ(写真中央)からなり、ツギノマの下手北側(写真右)に入側が接続し式台玄関に続く
・随所に銘木を惜しみなく用い、金砂子を全面に撒いた床障壁や、波間に踊る鯉を図柄とした欄間彫刻など、贅を尽くしている



表門:

・天保9年に宮津藩視察に来た幕府巡見使を迎えるため、庭座敷の式台玄関とともに急遽増築されたもの
・間口一間の切妻造桟瓦葺の薬医門で、両脇に袖壁を構える



釜場:

・主屋の西、酒造蔵の北に隣接している建物で、米を蒸す大きなかまどを備えている

・内部は主屋の土間と一体的な空間となっている
・釜場の一角には麴室(写真右奥)を備える

・屋根は通気が考慮されている



酒造蔵:



什器蔵:



道具蔵

アクセス
京都丹後鉄道宮津駅下車、西1㎞です。
見学ガイド
旧三上家住宅は有料で公開しています。表通りに北東に面しているので、朝以外は逆光です。

感想メモ
白壁の建物が連なる迫力のあるお屋敷です。通りに北面していて、南側の庭はそれほど広くなく、建物が密集しているので、写真撮影が難しかったです。
(2023年4月訪問)

参考
宮津市公式サイト、現地解説板、天橋立観光協会公式サイト

 

 

雪舟「天橋立図」の多宝塔とも考えられる

智恩寺多宝塔


ちおんじたほうとう
宮津市文殊
智恩寺多宝塔35.558007, 135.184219
室町後期
三間多宝塔、こけら葺

智恩寺は天橋立の南端に隣接し、古来より文殊信仰の聖地として信仰を集めてきました。もとは密教寺院であったものが、嘉暦元年(1326)頃、禅僧嵩山居中が中興を果たし、禅宗寺院となりました。
多宝塔は明応10年(1501)に丹後守護代の延永春信や大谷寺住持・智海らによって建てられたもので、密教の大日如来像が安置されるなど禅宗と密教の一体化を目指す智海の思想が反映されています。
・こけら葺きの三間多宝塔で、和様を基調としている

・上重の柱は円柱で、貫は用いす長押で固める
・軒は二軒で、組物は拳鼻付きの四手先
・柱間は幣軸付きの板戸と連子窓を設ける
・腰は出組で切目縁を支える

・下重の柱も円柱で、貫は用いす長押で固める
・軒は二軒で、組物は拳鼻付きの出組、中備は中央間のみ双斗で、他は間斗束
・中央間に幣軸付きの板戸を吊り、両側間に連子窓を設ける

アクセス
京都丹後鉄道天橋立駅下車、すぐです。
見学ガイド
智恩寺は常時自由に参拝することができます。多宝塔も自由に見ることができます。

感想メモ
和様を基調とした均整の取れた美しい多宝塔です。雪舟が天橋立図に描いた多宝塔かどうかについては議論があるようですが、水墨画のモデルになりそうな美しい塔です。
(2023年4月訪問)

参考
智恩寺公式サイト、宮津市公式サイト

 

 

優美な笹竜胆の蟇股を持つ

春日神社本殿


かすがじんじゃほんでん
南丹市園部町高屋
春日神社本殿35.124227, 135.500191
室町前期
一間社流造、檜皮葺

春日神社は桂川の上流、大堰川右岸の田園地帯に鎮座します。奈良春日大社と縁故があるといわれ、平安時代の創立とされています。現在の社殿は、形式などから室町時代初期の建立と考えられています。
・一間社流造檜皮葺で、地長押、 切目長押、内法長押を廻す
・縁を三方に廻し、浜床を付す

・大面取りの向拝柱(写真左)や直線的な繋虹梁はこの時代の特徴

・身舎正面の笹竜胆の蟇股は左右対称で、これもこの時代の特徴を示す

左側面: 
・二軒の繁垂木で、妻飾は扠首組
・柱上は三斗組で、柱間には蓑束を配している

・鬼瓦も時代の特徴を表すとされている

アクセス
JR山陰本線船岡駅下車、徒歩20分です。駅前の府道を右に進み、橋の手前を右折、川沿いを進んで最初の集落に入ってすぐです。
見学ガイド
春日神社本殿は、いつでも自由に見学することができます。拝殿や瑞垣など、視界を遮るものが一切ないので、どの角度からも大変よく見ることができます。

感想メモ
均整の取れた美しい社殿です。室町前期の建築の特徴が凝縮されていて興味深いです。
(2020年12月訪問)

参考
現地案内板

 

 

典型的な禅宗様の小堂

普濟寺仏殿


ふさいじぶつでん
南丹市園部町若森
普濟寺仏殿35.057049, 135.457002
室町前期
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺、背面突出部附属、板葺

普濟寺は園部の市街地南方の山間部に位置しています。創建は明らかではありませんが、荒廃していた寺院を寛永11年(1634)に亀山城主菅沼織部正定芳が復興し、曹洞宗に改めたものです。仏殿の建立年代は南北朝時代であると考えられています。
・方三間、単層、檜皮葺で、軒が大きく反りあがる禅宗様建築

・禅宗様の藁座付桟唐戸と花頭窓

・二手先尾垂木付詰組、波状連子をはめた弓欄間、柱上の粽と台輪なども禅宗様の特徴

・二軒の扇型垂木で、尾垂木の先端は鋭く繰られている

アクセス
JR山陰本線亀岡駅と園部駅を結ぶバスで農芸高校前下車、北400mです。バスの本数が少ないため、JR園部駅西口のレンタサイクルが便利です。駅からは約7kmで、高低差100m程度の上りですが、電動アシストなら全く問題ありません。
見学ガイド
普濟寺仏殿は常時自由に見学することができます。仏殿は南東に面しています。

感想メモ
小堂ですが禅宗様の特徴が詰め込まれていて興味深いです。
(2021年12月訪問)

参考
現地解説板

 

 

戦乱で荒廃した古刹に唯一残された鎌倉建築

九品寺大門


くぼんじだいもん
南丹市園部町船阪
九品寺大門35.101231, 135.441746
鎌倉後期
三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺

九品寺は園部の市街地西方の田園地帯に位置します。弘法大師創建とも伝わる古刹ですが、中世の戦乱によって伽藍は焼失するなどして荒廃し、現在では大門のみが残ります。
・三間一戸の楼門で、屋根は入母屋造桧皮葺
・鎌倉時代後期の様式を伝える

・軒は二軒の平行繁垂木で、和様の二手先のす疎組の組物
・腰組も和様の二手先で、下層頭貫の木鼻には禅宗様の渦巻き模様がみられる

アクセス
JR山陰本線亀岡駅と園部駅を結ぶバスで九品寺前下車すぐです。バスの本数が少ないため、JR園部駅西口のレンタサイクルが便利です。駅からは約5kmです。
見学ガイド
九品寺大門は常時自由に見学することができます。大門は東面しています。

感想メモ
今は門以外の古建築は残されていませんが、立派な楼門で、往時の繁栄が偲ばれます。
(2021年12月訪問)

参考
現地解説板

 

 

箱棟の鬼面が特徴

大山祗神社本殿


おおやまずみじんじゃほんでん
南丹市園部町大河内溝ノ上
大山祗神社本殿35.054638, 135.406410
室町中期
一間社流造、こけら葺

大山祗神社は京都・大阪・兵庫の三府県境に近い山間の集落に鎮座しています。藤原純友の弟が熊野三所権現 を祀ったことに始まり、文中3年 (1374) に楠正季がこの地に社地を改めたと伝えられています。本殿は、応永26年(1419)に造り替えられたと伝えられています。
・一間社流造で、杮葺きの屋根に箱棟をのせ、鬼板をすえる

・鬼板は鬼面の彫刻を取り付けた珍しいもの

アクセス
JR山陰本線亀岡駅と園部駅を結ぶバスから八田地区のコミュニティバスに乗り継ぐルートがありますが、本数が少ないのであまり現実的ではないように思います。
園部駅西口のレンタサイクルが便利です。神社までの距離は約12kmで、高低差200mの上り、アップダウンもありますが、電動アシストだとそれほど大変な距離ではありません。国道477号線経由と県道大河内口八田線経由の2ルートがありますが、距離はほとんど変わりません。それぞれ、普濟寺、九品寺の近くを経由するので、往復で使い分けるとこの辺りの文化財を効率的に回ることができます。
見学ガイド
大山祗神社には常時自由に参拝することができます。本殿には覆屋がかけられていますが、前面が開放され、覆屋内にも立ち入ることができるので、本殿を間近に見ることができます。覆屋の背が低いので、屋根の箱棟はほとんど見ることができません。

感想メモ
このあたりまで訪ねてくる人は珍しいようで、地元のおばあさんが話しかけてこられました。園部から自転車で来たと言うと、よう遠いところから来られたと感心してもらえました。
神社は集落の奥の林の中です。神秘的な雰囲気と適度に荒れた世俗的な雰囲気が入り混じっています。
(2021年12月訪問)

参考
現地解説板

 

 

蕨の毘沙門さんの鎌倉建築

大福光寺


だいふくこうじ
船井郡京丹波町下山岩ノ上
大福光寺本堂35.217079, 135.431785
鎌倉後期
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、檜皮葺
大福光寺多宝塔35.216788, 135.431631
鎌倉後期
三間多宝塔、檜皮葺

雲晴山大福光寺は由良川上流の高屋川右岸河岸段丘上に位置します。真言宗御室派の古刹で、南北朝時代には、足利氏の祈祷所として栄えました。本尊に毘沙門天を祀ることから蕨の毘沙門さんとも呼ばれています。方丈記最古の写本を所蔵していることでも知られています。
もとは現在地より北方の空山(深山)にありましたが、嘉暦2年にこの地に移り、諸堂が建立されました。天正年間の兵火により多くの堂宇は焼失しましたが、本堂と多宝塔は難を逃れました。
本堂と多宝塔

本堂: 
・方五間単層入母屋造桧皮葺で、鎌倉時代の様式を残す
・長押、連子窓、隅角のある肘木、切目縁などの和様と、藁座付き桟唐戸、扇垂木などの禅宗様を折衷している
・長押と藁座が併存して桟唐戸を支えるのは過渡期の様式であり珍しい

多宝塔: 
・方三間二層桧皮葺で、鎌倉・室町時代の様式を伝える
・上重は円柱、下重は大面取角柱で、それぞれ長押で固める
・上下とも二軒の平行繁垂木で、組物は和様で、上重が四手先、下重が出組

・多宝塔下重に彩色が施された蟇股12枚(内4枚は江戸時代の後補)を飾る

アクセス
JR山陰本線下山駅下車徒歩25分です。駅前の交番の前の坂道を下り、下りきったら鋭角に左折します。橋を渡ったところで右折し、今度は河岸段丘をのぼります。登り口に大福光寺の案内板があります。上り終えた辺りに工業団地との分岐があるので、左折すると、あとは段丘上のなだらかな坂道を道なりに進みます。
見学ガイド
本堂と多宝塔はいつでも自由に見ることができます。

感想メモ
それほど多くの人が訪れる地域ではありませんが、ここにも立派な鎌倉建築が残り、鴨長明の方丈記の写本も所蔵するなど、京都の文化の奥深さを感じます。
(2020年12月訪問)

参考
京丹波町観光協会公式サイト

 

 

北船井型の茅葺き民家

渡邊家住宅


わたなべけじゅうたく
船井郡京丹波町下山岩ノ上
渡邊家住宅35.216682, 135.430947
江戸中期
桁行12.8m、梁間9.8m、入母屋造、北面突出部附属、茅葺

渡邊家住宅は大福光寺の近くの田園地帯にあります。建築年代に関する記録は残されていませんが、およそ17世紀末から18世紀はじめに建てられたものであると推測されています。
・北船井型と呼ばれる平入、入母屋造りの茅葺き民家で、内部は、田の字型間取りの4間と土間などから成る

アクセス
JR山陰本線下山駅下車徒歩25分です。大福光寺のすぐ近くに位置しています。
見学ガイド
渡邊家住宅は通常は非公開です。町役場のサイトには事前予約制で見学が可能との記載があります。住宅は公道からも見ることができますが、周囲の附属屋のため全体を見るのは難しいと思います。

感想メモ
周囲より一段高い敷地に建つ立派な建築です
(2020年12月訪問)

参考
京丹波町観光協会公式サイト